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        <title>ラーメン　みのり</title>
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        <title>アホのチャンピオンベルト第１２ラウンド～「伊勢の風を感じた特別編」</title>
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        <description><![CDATA[アホのチャンピオンベルト第１２ラウンド<br /><br />みのりの愛笑が歩んだ「涙のアホベルトへの道のり」<br /><br />＜伊勢の風を感じた特別編＞<br /><br />□□□□□□□□□□□□□□□□□<br /><br />さて、今回の伊勢の風を感じる会は、<br />昨年に続いての２度目の開催になりました。<br /><br />ところが、実は、直前まで、<br />果たして無事に開催できるだろうかと、<br />心配な気持ちで一杯でした。<br /><br />というのも、千歳のらーめんみのりは、<br />この１年間に大きな試練を経験しています。<br /><br />パートのおばさんが主体だったメンバーが去り、<br />殆ど全て１０代、２０代の調理接客未経験者に代わりました。<br /><br />さらに、売上げの回復をするために、<br />お客さま目線の大改革にも取り組んでいます。<br /><br />開運グッズのショーケースはＶＩＰルームに移動、<br />お客さまアンケートによる改善活動など、<br />やれることは何にでも取り組んでいます。<br /><br />おかげで、ゴールデンウィークを迎えるころには、<br />お店のほうはスタッフも育ち、<br />売上げも回復の兆しがみられたのですが、<br />日本全国のイベントへは、ほとんど参加できずにいました。<br /><br />さらには、６月１５日のイベント１日前、<br />私たち夫婦が千歳から伊勢に向かっている途中、<br />店でボヤが起きたという報せがありました。<br /><br />そんな状況で６月１６日を迎えたのです。<br /><br />―　伊勢到着、木村正子さんがご挨拶に　―<br /><br />当日、会場の受付に立つと、<br />日本全国から集まった参加者のみなさまが、<br />伊勢修養団の玄関に続々と現れて下さいました。<br /><br />一人一人の参加者の方々のお顔を拝見するたびに、<br />再会や出逢いの感動がこみあげてきます。<br /><br />そして、とめどもなくハグしたり、握手をしたりで、<br />笑顔が溢れました。とにかく嬉しくて感動が一杯です。<br /><br />さらには、ＳＭＡＰの木村拓哉のお母さんで、<br />食に関する講演をしておられる木村正子さんが、<br />わざわざ私に会うためにといって顔を出して下さいました。<br /><br />何かのついでに来られたのではないというので、<br />信じられない想いでした。<br /><br />それから、開校式が始まるまでの時間、<br />色々とお話させていただきました。<br /><br />木村さんは、夜の月次祭（つきなみさい）にも<br />参加するといっておられました。<br /><br />時間がくると、結局、お一人の欠席も無く<br />１０６名が受付を終了して下さいました。<br /><br />「うわー、本当に、よく集まって下さった！<br />あらためて人の輪のつながりってすごいなぁ！」<br /><br />そして、いつの間にか私の中の不安の影は、<br />すべてどこかに吹っ飛んでしまっていました。<br /><br />今日までの不安や苦労には、すべて意味があるはず。<br />まさに今から何かが変わり始めるんだ。<br /><br />それは、ご参加くださった方にとっても同じ。<br />そのために、自分に出来ることを精一杯やろう。<br /><br />私は、そんなワクワクした気持ちで一杯になりました。<br /><br /><br />―　開校式　―<br /><br />さて、１時間目は開校式です。<br />全員が２階の大講堂に集りました。<br /><br />スリッパの並べ方や色々なルールの説明。<br />みなさん、正座をして神妙に話を聞いています。<br /><br />私は、これまでと違って主催者席にいました。<br />全体が見渡せます。<br /><br />「自分よりすごい人たちがこの会場には沢山いる。<br />本当に私でいいのかな？<br />本当にできるのかな？」<br /><br />という不安が一瞬よぎりましたが、<br />勇気をふるい起こしました。<br /><br />「私だからこそ頑張ろう<br />こんなに素敵な学びと出逢いの場は、<br />日本のどこにも他には聞いたことも見たこともない。<br />この火は決して絶やすことが出来ない<br />厨房ではボヤ騒ぎはこのまま隠しておこう」<br /><br /><br />―　童心行　―<br /><br />２時間目は童心行（どうしんぎょう）。<br /><br />参加者同士が子供に戻って<br />素直な心を取戻そうということで、<br />フォークダンスや、ゲームに取り組みました。<br /><br />まずは１０列に座ってお互いの肩もみ。<br />「肩もみ始め」の合図でいっせいに始まります。<br /><br />お互いに触れ合う事で、<br />初対面の参加者同士が少しずつ打ち解けていきます。<br /><br />「終わったら自分の手の汚れを<br />相手の服につけてあげてください」<br /><br />そして全員起立、輪になりました。<br /><br />童心行その２は、わらべ歌です。<br /><br />「おてて、つないで、夜道を行けば♪」<br /><br />昔懐かしい童謡を、<br />みんなで手をつないで歌っていると、<br />突然、「ピー！」っと笛がなります。<br /><br />リーダーから「２人！」という指示が出ました。<br />２組みになって、お互いに自己紹介し合うのです。<br />そして、また、掛け声といっしょに歌をはじめます。<br /><br />少しでも元気がなくなると、<br />手の上げ方、足の上げ方が悪いと指導が入ります。<br />罰ゲームもあるので、みんなが真剣。<br /><br />しばらくやると、みんな汗だくになってしまいました。<br /><br />こんな感じで、３人、４人と<br />色んなグループをつくっていきます。<br /><br />グループの人数も増えてくると、<br />笑い声も自然と増えていきました。<br /><br />次第に緊張も忘れてしまいます。<br />本当に、子供になったような気がしました。<br /><br />こんな感じの約１時間。<br /><br />最後は「幸せなら手を叩こう♪」を<br />一緒に歌いました。<br /><br /><br />―　法話（ほうわ）　―<br /><br />続いての第３時間目は法話です。<br /><br />今回のお祭りの説明や、<br />伊勢神宮と天照大御神さまの<br />お話が紹介されました。<br /><br />「知らなかったことを勉強できて良かった」という<br />声が多かったのが嬉しかったです。<br /><br />伊勢神宮で年に２度開催される月次祭（つきなみさい）には<br />２０００年の伝統があり、伊勢の風を感じる会は、<br />毎年、この祭りに合わせて開催しています。<br /><br />あらためて、<br />めっちゃすごいイベントを主催しているんだ。<br />これは責任重いなと思いました。<br /><br />集まって下さった皆さんには<br />本当に感謝だなと思いました。<br /><br /><br />―　食事会に今野華都子さんが　―<br /><br />そして、夕方の食事会には、<br />エステシャンの世界大会で優勝したことのある<br />今野華都子さんが来てくれました。<br /><br />月次祭のために正装で現れた<br />今野さんにみんなの視線が釘付けです。<br />すぐに、彼女には写真撮影の行列ができました。<br /><br />私とは誰も一緒に写真を撮りたがりませんが、<br />今野さんはやはりすごい人気です。<br /><br />一人ポツンとしながら、<br />誰にもすごいと思われていない<br />自分を痛感しました。<br /><br />そして、親しみをもってもらえる証拠かなと、<br />勝手に考えてテンションがあがりました。<br /><br />来て下さって本当に嬉しいなと思いました。<br /><br /><br />―　反省行　―<br /><br />そして、食事を終えると反省行が始まりました。<br /><br />みんなが手に一本のろうそくを灯して、<br />若くして亡くなった方々のお話を聞きます。<br /><br />卒業記念の北海道旅行で雪崩に巻き込まれ、<br />友人たちは即死し、自分も間もなく<br />死んでしまうという状況で何が出来るのか？<br /><br />その方の遺書が紹介されました。<br /><br />「ごめんね、ありがとう」という、<br />友人や、親に対する謝罪と感謝の言葉が一杯です。<br /><br />命を失う最後に「ありがとう」を言えるなんて、<br />素敵な人だと思いました。<br /><br />何回聞いても深くいい話です。<br /><br />会場では、あちこちでシクシク泣いている人がいました。<br /><br />その泣き声を聞くうちに、<br />この後の禊ぎ（みそぎ）は、<br />みんなが自分の汚れを流すためなんだと思いました。<br /><br /><br />―　禊ぎ（みそぎ）　―<br /><br />さて、いよいよ禊ぎ（みそぎ）です。<br /><br />男性はふんどし一丁、<br />女性も白装束で伊勢神宮を流れる<br />五十鈴川（いすずがわ）に入り、身を清めます。<br /><br />エイサー、ヨイサーといって気合を入れながら体を温め、<br />「流汗鍛錬（りゅうかんたんれん）」の連呼で<br />ジャブジャブと音を立てながら肩まで川に入っていくと、<br />毎回、不思議な体験をすることが出来ます。<br /><br />私は、今回、初めて、みそぎの間中、<br />川に入って行灯（あんどん）を照らす<br />ボンボリという役割をさせていただきました。<br /><br />１００名の皆さんが「流汗鍛錬」の掛け声で<br />水しぶきをあげながら五十鈴川に入ってくる様子は、<br />言葉にならないくらいの感動です。<br /><br />そして、ふと星空を見上げた瞬間、<br />なぜか涙がこぼれました。<br /><br />昨年、イスラエルに行った時に聞いた、<br />ナチスの人に虐殺された<br />ユダヤの人達の姿が眼に浮かんだのです。<br /><br />そして、彼らが一緒に五十鈴川に<br />入ってきてくれたような気がしました。<br /><br />また、イスラエルに行かなければと思いました。<br /><br />あと禊ぎ（みそぎ）の間中は、<br />数え切れないほどのほたるが<br />私たちを囲んでいました。<br /><br />小さな光が、あちこちで電光石火のように<br />光ってクリスマスのイルミネーションみたいでした。<br /><br />すごく自然を感じましたし、<br />伊勢は本当に神秘的なところなんだと感じました。<br /><br />帰ってきてみると夜の９時前。<br /><br />すぐに正装して今度は月次祭への参加です。<br /><br /><br />―　月次（つきなみ）祭　―<br /><br />このお祭りは、年に２回、<br />神様に最高の料理をつくって差し上げるもので、<br />これまでに２０００年間続いるといわれています。<br /><br />元々は、毎月行われていた事から、<br />月次（つきなみ）祭という名前になりました。<br /><br />そして、４０名以上の神官によって、<br />毎回執り行われるのですが、<br />今回は、天皇陛下の実姉にあたられる<br />池田厚子さまも祭主として参加しておられました。<br /><br />このお祭りに参加している約３時間、<br />私たちは、かすかに聞こえる<br />お神楽の太鼓や笛の音に耳をすませながら、<br />それぞれが色々なことに想いを馳せるのです。<br /><br />その間、一切の私語は許されません。<br /><br />私は、これまでの１年間を振り返り、<br />そして、今日の出来事や出逢いを振り返りながら、<br />使命、伝承、確信という風を感じました。<br /><br />それは、学歴がなくても、<br />どんなに人生で失敗していても<br />自分を信じろというメッセージでした。<br /><br />この使命、伝承、確信に自分に<br />必要なことが全部隠されている、<br />自分を信じて生きていこうと思いました。<br /><br />使命と伝承いうのは、<br />２０００年間続いたこのお祭りの火を、<br />伊勢の風を感じる会を開催することで続けていくこと。<br /><br />確信は、何に頼ることがなくても、<br />自分を信じてもいいんだという信念です。<br /><br />お恥ずかしい話ですが、<br />これまでの人生で、<br />初めてこの確信を感じることが出来ました。  <br /><br />ちなみに、去年の風は感謝と謙虚でした。<br /><br />伊勢とのかかわりが持てたことへの感謝と、<br />大きなつながりの中で生きていることへの<br />謙虚さを胸に刻んでいこうと思ったのです。<br /><br /><br />―　直会（なおらい）　―<br /><br />そして、いよいよ夜の１２時から<br />直会（なおらい＝飲み会）が始まりました。<br /><br />若者同士が語り合ったり、<br />田島和子さん、高田糸さん、<br />赤塚高仁さんの周りには沢山の方が集まっていました。<br /><br />それぞれが、思い思いの形で出逢いの感動を深め、<br />今日の出来事をあらためて分かち合っておられます。<br /><br />話はいつまでも尽きません。<br /><br />遅い人は翌朝の４時、５時まで盛り上がっていました。<br /><br /><br />―　正式参拝　―<br /><br />２日目は６時起床、まずは伊勢神宮に正式参拝です。<br /><br />修養団名物の寺岡さんからは、今回も、<br />熱いお話を頂戴して時間も予定通りオーバーしていました。<br /><br /><br />―　閉校式　―<br /><br />閉校式では、予定されていた中山先生に代わって<br />私がお話をさせていただきました。<br /><br />自分で大丈夫だろうかと思いましたが、<br />中山先生に聞きたいといわれれば断るわけにはいきません。<br /><br />来るべき時が来た。やるしかない。<br /><br />そこで、現在、夫婦の間で取り組んでいる<br />「愛のメッセージ箱」の話をさせていただきました。<br /><br />妻の紀子が嬉しいことがあった時には<br />この箱に簡単なメッセージをいれてくれるのです。<br /><br />この箱の取り組みを始めるまで、私は、<br />身近にいるゆえに、日々の感謝を伝えたり、<br />苦労をひとつでも分かち合うための努力が欠けていました。<br /><br />妻に甘えるばかりで、おろそかになっていた<br />ことが沢山あったことに気づいたのです。<br /><br />それを少しでも穴埋めしたいと思って、<br />約２ヶ月前からこんな取り組みを始めてみました。<br /><br />そして、週に一度、この箱を一緒に開けるのです。<br /><br />メッセージが一枚でも入っているかを確認する瞬間は、<br />毎回ドキドキ感が一杯になります。<br /><br />少なければ悲しくなりますし、<br />沢山入っていると有頂天になってしまいます。<br /><br />そして、不思議なことに、<br />メッセージが沢山入っている週は、<br />感動的な嬉しいことがいくつも重なっているのです。<br /><br />夫婦関係もお店もスムーズな上に、<br />ご縁のある方からの親切が続きます。<br /><br />この箱を通じて、いかに、<br />私が妻の気持ちを分かってあげられていなかったかが、<br />身にしみました。<br /><br />始めて３５日目に箱を開けたときには<br />メッセージにハートマークがついていたのですが、<br />結婚以来、初めてのことでした。<br /><br />ジワーっと嬉しい気持ちが広がって言葉になりません。<br /><br />この活動を通じて、そばにいる人に、<br />自分の愛が届いていることがどれだけ大切か、<br />やっと気づいた私です。<br /><br />終わってみると、<br />日本全国から伊勢に集まった方々に、<br />ずっと、このような身近な話ばかりで、<br />申し訳ありませんでした。<br /><br />けれども、たいした成功もしていない私に、<br />何がお伝えできることといえば、<br />自分への反省くらいだと思って<br />お話させていただいた次第です。<br /><br />本当にありがたい機会でした。<br /><br /><br />―　目に見えないもの　―<br /><br />あと、私の話を補足する形で<br />予想外に中山先生も３０分ほど話して下さり、<br />これまた感謝です。<br /><br />体調が優れないというので、<br />来る前は心配したのですが、<br />とてもお元気でした。<br /><br />先生のお話で特に印象的だったのがこの言葉。<br /><br />「目に見えないものを信じるところにすごいことがある」<br /><br />鳥は空気をみられない。<br />魚は水をみられない。<br />人間は、空気にどれだけ感謝をしているだろうか。<br /><br />さすがだなと思いました。<br /><br />あと、<br />いつも良いことを思って、<br />いつもいいことを言って、<br />いつもいいことをしよう。<br /><br />それから、<br />困難そのものが自分の成長の鍵。<br />立ち向かうというのは少し違う。<br />困難に対して感謝するという思いが大切。<br /><br />そんな言葉が心に残りました。<br /><br /><br />―　また、逢いましょう　―<br /><br />別れ際には、みなさん、<br />すっきりした顔をされておられて、<br />きっと、何かを感じていただけたのかなと思いました。<br /><br />やっぱり、伊勢は身も心も入れ替えるために<br />行く場所なのかもしれません。<br /><br />これからも、一人でも多くの人が、<br />訪ねて欲しいと心から思いました。<br /><br />終わると、すぐに参加者から<br />東京で講演をして欲しいというお話しや、<br />参加して良かった、<br />また、逢いましょうというお声を頂けました。<br /><br />「こんなにすごい集まりを<br />自分なんかが主催していいのだろうか？」<br /><br />最初は、そんな気持ちでいましたし、<br />実際には、私からはささやかな事しか<br />出来ませんでしたが、<br />あり余る温かい交流や学びの場になり<br />心から感謝で一杯です。<br /><br />ご参加下さったみなさま、<br />本当にありがとうございました。<br /><br />]]></description>
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        <dc:date>2010-07-21T12:14:00+09:00</dc:date>
        <title>アホのチャンピオンベルト第１１ラウンド～「あなたから買うなら値段は関係ないよね」</title>
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        <description><![CDATA[アホのチャンピオンベルト第１１ラウンド<br /><br />みのりの愛笑が歩んだ<br />「涙のアホベルトへの道のり」<br /><br />＜あなたから買うなら値段は関係ないよね＞<br /><br />＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br /><br />（これまでの内容）<br /><br />私の幼少期は、<br />食べるものにもこと欠くぐらいに貧乏な上に、<br />近所の子供たちいじめられ、さらには、<br />親から虐待される毎日。<br /><br />中学に入ると、毎日、<br />死ぬ事ばかりを考えていました。<br /><br />ところが、そんなある日、<br />漁に行く最中にＵＦＯに出逢ってからは、<br />何をやっても上手くいくようになり、<br />お金にも不自由しなくなったのです。<br /><br />それからは、多少の苦労はしましたが、<br />若くして沢山の夢を叶えました。<br /><br />しかし、２７歳の時に騙されて全財産を失い、<br />街にもいられなくなりました。<br /><br />再び死のうかとも考えましたが、<br />最後に、もう１回だけ頑張ろうと札幌に出てきて、<br />職を点々とするうち、<br />不思議な女性オーナーにあって、<br />自分がやるべき仕事を探し始めたのです。<br /><br />前回の内容はこちらにございます。<br /><a href="http://r.goope.jp/taisyo/info/32978">http://r.goope.jp/taisyo/info/32978</a><br /><br />（ここからが今回の内容です）<br /><br />＜ＮＴＴの子会社に入社？＞<br /><br />女性オーナーとの約束で<br />読売新聞の営業の仕事を１日で辞めた私は、<br />再び新聞の求人欄で次の仕事を探すことにしました。<br /><br />そして、見つけたのが<br />NTSという電話の加入権を売る会社です。<br /><br />正式名称「日本（Ｎ）テレホン（Ｔ）サービスセンター（Ｓ）」<br /><br />街を歩きながら電話のついていない家を探し、<br />電話をつけてあげる仕事です。<br /><br />裁判所で差し押さえられていた加入権を、<br />１万円か２万円で仕入れて７２８００円で売るビジネス。<br /><br />契約１つにつき代行手数料８０００円と２万円のコミッションで、<br />合計２万８０００円をもらうことが出来ます。<br /><br />住民票があったおかげで無事に面接も合格した私は、<br />１月１１日に入社することが出来ました。<br /><br />ＮＴＳの札幌事務所は、<br />インチキ換気扇の会社とは違って、<br />ちゃんとした会社でした。<br /><br />私は「NTTの子会社に入れた！」と思って、<br />思わず喜んでしまったのですが、実は、<br />まったく違うくことにすぐ気づきました。<br /><br />理由は、あたかもNTTから来た風に<br />装うのがミソだと教わったからです。<br /><br />「日本テレホン代行サービスです、<br />この地区の担当になりましたので、<br />電話の設置を代行に来ました」<br /><br />そういうと、本当に、<br />お客さんは信用してくれました。<br /><br /><br />＜ＮＴＴだと思ってもらえるように＞<br /><br />さらに、私はNTTに行って、<br />NTTのロゴが入ったファイルとボールペンを<br />沢山もらってきてお客さんの目に止まるように<br />使うようにしました。<br /><br />ファイルとボールペンはタダでもらうことが出来たのです。<br /><br />駄目押しには、<br />自分のお金でテレホンカードを１０枚くらい買っておいて<br />書類なんかと一緒に挟んでおきました。<br /><br />口で「NTTです」といったらまずいので、<br />勝手にNTTだと思ってもらえるようにしたのです。<br /><br />それは会社には内緒にしていました。<br /><br />毎日午後１時に出社して朝礼が終わると、<br />会社で営業トークを教わりロールプレイングを練習します。<br /><br />しかし、フルコミの採用だった私は参加が自由だったこともあり、<br />独自の営業方法でチャレンジすることにしました。<br /><br />「この地区を担当しています。<br />電話のついてない家庭につけてさしあげています」<br /><br />そう教わったとおりいっても、<br />心に響かないと思ったのです。<br /><br />そこで、何をやったかというと、<br /><br />毎日の出社前に電話のついてない家を探しておいて、<br />午後には無駄なくどんどん訪問できるようにしました。<br /><br />電信柱から線が引かれていない家は<br />電話がついていないので探すのは簡単でした。<br /><br /><br />＜汗だくになって＞<br /><br />しかし、それだと効率が悪いなと思うようになり、<br />新築のアパートやマンションを探して営業することにしたのです。<br /><br />そして、お引越最中の人を見つけて、まずは、<br />自ら汗だくになって一生懸命手伝いました。<br /><br />それから、ひざを突き合わせて、<br />「電話ついてないですよね」と話すと、<br />ほぼ１００％で契約をしてもらえるのです。<br /><br />書類を出すときには、契約書の名前に<br />隣の人が入っているのを見えるようにしました。<br /><br />「あ、隣の人も入ってくれたんです」<br /><br />そう、気づいてもらえるようにしたのです。<br /><br />そうすると、１棟まるごと契約が取れたりして、加入権以外に、<br />手数料だけで１日１０万円くらいになることもありました。<br /><br />契約手数料は会社に渡さなくても良いという<br />ことになっていたので、そのまま全部収入になります。<br /><br />この他にも１件２万円のコミッションを<br />お給料としてもらいました。<br /><br />そんなことをやっていると、<br />他の営業マンの平均のお給料が２０、３０万円という中で、<br />最初の月のお給料が手取りで１３０万円位になりました。<br /><br />成績は日本１位。<br /><br />「当たり前のことをしているだけだ」<br /><br />そう思っていたのでびっくりでした。<br />本当に嬉しかったです。<br /><br />発表されるまで、会社の中でランキングを<br />つけていることも知りませんでした。<br /><br />ＮＴＳには全国で２００名くらいの営業マンがいて、<br />１位から３位までは賞金が出ました。<br />１位が５０万、２位が３０万、３位が１０万。<br /><br />その場で支給されて、また、ビックリです。<br /><br /><br />＜あなたから買うなら値段は関係ないよね＞<br /><br />飛び込みがうまくいったのは、<br />真言宗のお寺のご住職から「営業のコツ」を教えてもらったのが<br />その理由かもしれません。<br /><br />以前、漁師をやめて魚の行商を始めたものの、<br />どうすればいいか分らなくて悩んだことがありました。<br /><br />その時、このご住職の噂を聞いて<br />横浜まで会いにいったのです。<br /><br />「あなたが魚の行商をするときに、<br />あなたは魚を売っているのか、<br />あなたを売っているのかどっちですか？<br /><br />お客さんは、あなたのどこを見ていると思いますか？」<br /><br />このように聞かれましたが、<br />私には分りませんでした。<br /><br />「お客さんは、あなたの背中を見ているんですよ。<br /><br />断られた時に、バタンと戸を閉めて返る人と、<br />お話を聞いてくれてありがとうございましたという人がいる。<br /><br />それは、心を売っているんだよね」<br /><br />そう教えてもらいました。<br /><br />この話を覚えていたので、断られた時に、<br />扉の向こうから「ありがとうございました」と<br />一礼をするようにしていたのです。<br /><br />実際、それで、呼び止められて<br />本当に契約になったこともありました。<br /><br />魚を売っている時にも値段を上げることが出来ました。<br /><br />「あなたから買うなら値段は関係ないよね」<br /><br />それが、ご住職のアドバイスでした<br /><br /><br />＜仙台行き＞<br /><br />ＮＴＳの仕事は２ヶ月目が全国２位、<br />３ヶ月目が再び全国１位でした。<br /><br />すると、大阪の本社から社長が<br />北海道まで会いにきてこういったのです。<br /><br />「仙台に営業所を出すので行って欲しい。<br />経費は会社で全部持つ。役職は課長だ。<br />是非、よろしく頼む」<br /><br />こうして、私は仙台へ行くことになりました。<br /><br />「自分でも出来るんだ」と思って、<br />仙台行きの話はとても嬉しかったです。<br /><br />「もしかしたら、すごいことになるかもしれない。<br />これは、なすがままに行ってみよう」<br /><br />仙台についてみると４月は雪も無くて、<br />バイクで動けたことが幸いでした。<br /><br />そして、行った月から、また、日本１位。<br />預金残高も５００万円を越えました。<br /><br />ただ、最初の話と違って、<br />仙台では北海道から一緒に来ていた支店長が、<br />私のアパートで一緒に暮していたのが、<br />少し、気になっていました。<br /><br />社長に相談すると、びっくりして、<br />すぐに仙台にやってきました。<br /><br />そこで、支店長が会社のお金を流用していたことや、<br />ウソを言って私のアパートに住んでいたことが発覚。<br /><br />社長は激怒していましたが、<br />私は支店長が自分に寄生しているのを見て、<br />やる気がなくなってしまいました。<br /><br />「これは、続けられない」<br /><br />私はＮＴＳを辞めることにしました。<br /><br /><br />＜般若心経を唱えて＞<br /><br />すごいお金がもらえたり、<br />日本一になれたのはワクワクしましたし、<br />ありがたかったのですが、<br />心のどこかでは「このままでいいんだろうか、<br />自分が本当にやりたいことを見つけよう」という<br />気持ちもありました。<br /><br />それでも、一度は地獄に落ちて<br />飢え死にしかかっていたのを<br />女性オーナー、ご住職のおかげで<br />短期間で落ち着く事ができたこと<br />ＮＴＳが拾ってくれたことには感謝で一杯でした。<br /><br />「今は、目に見えないものへの<br />お礼参りが必要かもしれない。<br /><br />しばらくは、静かに般若心経を唱えて<br />これからのことでも考えてみよう」<br /><br />そう思って、仙台にある真言宗のお寺で<br />托鉢をすることにしました。<br /><br />托鉢をやろうと思ったのは、<br />私が和歌山の奥の院、高野山のお経が<br />なぜか大好きだったからです。<br /><br />「営業のコツ」を教えてくれたご住職も、<br />真言宗の方でした。<br /><br />お寺に相談すると、すぐに、<br />古い家を１ヶ月３０００円で<br />貸してくれる人を見つけてくれました。<br /><br />そこで、寝泊りしながら<br />般若心経を唱える日々を始めたのです。<br /><br />１９８４年、２８歳のことです。<br /><br /><br />＜つづく＞<br /><br /><span style="font-size: 20px; color: #333333;"><a style="color: #000000; text-decoration: underline; padding: 0px; margin: 0px;" href="http://ramen-minori.com/info/44628"><strong><span style="font-size: small;">アホのチャンピオンベルト第１２ラウンド～「伊勢の風を感じた特別編」</span></strong></a></span>]]></description>
    </item>
    <item rdf:about="http://ramen-minori.com/info/32978">
        <dc:date>2010-05-18T21:30:00+09:00</dc:date>
        <title>アホのチャンピオンベルト第10ラウンド～「神がかりな女性オーナー現る」</title>
        <link>http://ramen-minori.com/info/32978</link>
        <description><![CDATA[<span style="font-family: Arial, 'Hiragino Kaku Gothic Pro', 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 'ＭＳ Ｐゴシック'; font-size: 13px; color: #333333; line-height: 20px;">みのりの愛笑が歩んだ<br style="padding: 0px; margin: 0px;" />「涙のアホベルトへの道のり」<br style="padding: 0px; margin: 0px;" /><br style="padding: 0px; margin: 0px;" />////////////////////////////////////////<br /></span><br />＜１０日ぶりのお風呂は極楽＞<br /><br />とにかく仕事を見つけようと思った私は、<br />ゴミ箱に捨てられている新聞を拾ってきて、<br />仕事探しを始めました。<br /><br />そして、選んだのが衛生器具の取り付け会社でした。<br /><br />酪農をしている農家のポットントイレの<br />換気口を変える仕事です。<br /><br />１月８日、面接に行った私は、<br />ひげぼうぼうで臭い体臭を出しまくっていましたが、<br />担当者は何も言わずに採用してくれました。<br /><br />住民票がない私を何も聞かずに採用してくれて、<br />しかも、寮とお風呂があるなんて、<br />「なんて幸運なんだろう」と思いました。<br /><br />そして、お布団をもらって寮に案内されました。<br /><br />「ここだから」といわれた所は、<br />仕切りの無い部屋に、<br />３０人ぐらいがごろ寝をして暮している場所でしたが、<br />私にとってはとてもありがたかったです。<br /><br />そして、１０日ぶりのお風呂。<br />「極楽だ～　最高だ～」と思いました。<br /><br />あがってみると、身体を拭くタオルも<br />替えのパンツもありませんでしたが、<br />パンツはお風呂で洗って何とか済ませました。<br /><br />そして、部屋に戻ってきたのですが、<br />ちょうど、会社の先輩達がポツリポツリと、<br />戻ってきるところでした。<br /><br />挨拶をしようと思って、<br />目を凝らしてみてハッとしました。<br /><br />「普通じゃない」<br /><br />人相や格好がおかしい。<br />暴力団みたいな感じの人たちばかりなのです。<br /><br />「一体、どんな仕事するのかな」と思いました。<br /><br /><br />＜札幌の衛生局から来ました＞<br /><br />翌日は、ナンバーワンセールスマンに同行して、<br />仕事を覚えることになりました。<br /><br />それが、実は詐欺商法だったのです。<br /><br />まずは、札幌市郊外の酪農をしているお宅を訪問、<br />こんなウソを言って安心させます。<br /><br />「札幌の衛生局から来ました」<br />「トイレに雨漏りの水が溜まりませんか？」<br /><br />そして、点検をするといいながら、<br />点検している振りをして換気扇を壊します。<br /><br />次に、「簡単な部品の取替えで雨漏りは大丈夫。<br />８０００円で出来る」とか甘いことを言って、<br />結局は３０万円のローンを組ませるのです。<br /><br />私は、目の前で繰り広げられる光景を横から見ながら、<br />罪悪感で一杯になってしまいました。<br /><br />泥まみれになりながら一生懸命働いている、<br />おじさん、おばさんを言葉巧みに騙すのです。<br /><br />「一瞬でも早く帰りたい」<br /><br />この姿を、お世話になった友人たちや家族に見られたらと、<br />思うだけで怖かったですし、騙されてローンを組んだ方に<br />申し訳なくてたまりませんでした。<br /><br />私は、その日の夕方、会社にもどると、<br />そのまま、お風呂にも入らず、<br />荷物をまとめて辞めて来ました。<br /><br />「私には出来ません。ごめんなさい。合いません」<br /><br />誰も何も言いませんでした。<br /><br />会社を出て、夕暮れの冷たい風の中を歩きながら、<br />「また、今日から車で寝るんだ」と思うと<br />無性に悲しかったです。<br /><br />「田舎の人間が札幌に来ても、<br />まともな、仕事にはつけないんだな」<br /><br />生まれて初めて、<br />お金が沢山欲しいと思いました。<br /><br /><br />＜神がかりな女性オーナー＞<br /><br />その翌日、また、色々と仕事を探しているうちに、<br />今度は読売新聞の営業に採用されることになりました。<br /><br />カプセルホテルで拾った新聞の募集広告を見て応募したのです。<br /><br />採用が決まってホッとしている私に、<br />その販売店の社長はこんな事を言いました。<br /><br />「この隣にある４階建てのビルの４階で<br />お花と着付けの教室をやっている女性がいるんだけれど、<br />誰が勧誘に行っても断られるんだよ。<br />彼女は、そのビルのオーナーなんだ」<br /><br />誰が行っても契約を取れないなら、<br />どうして新聞を取ってくれないか聞いてみよう。<br /><br />私は、なぜか、そう思って、<br />その女性を訪ねてみることにしました。<br /><br />募集要項の「月収４０－５０万円も可能」という項目を、<br />鵜呑みにしていたので「ヨシ！」と、<br />張り切って出かけました。<br /><br />行ってみると、<br />そのビルの４階はオーナーの自宅になっていて、<br />その一室で教室をしていることが分りました。<br /><br />外から見ても、玄関の建具や飾りはかなり豪華で、<br />きっと金持ちなんだろうなと思いました。<br /><br />私は、チャイムを押してインターホン越しに、<br />率直に、質問をぶつけました。<br /><br />「どうして新聞を取ってくれないか、<br />教えてくれませんか？」<br /><br />すると、お手伝いっぽい人が出てきて、<br />部屋へ通されたのですが、<br />そこは壁一面にどこかの宗教の祭壇のようなものがあって、<br />「そのまま待つように」と、言われました。<br /><br />その祭壇の前で、<br />３０分くらいだったか、<br />正座をして待っていると、<br />おもむろに、扉が開きました。<br /><br />女性オーナーが現れたのです。<br />まるで、どこかの教祖のような格好の人でした。<br /><br />そして、いきなりこう切り出してきたのです。<br /><br />「色々あったんでしょ？」<br /><br />そう言われて、なぜか、胸にグッときました。<br />もしかしたら、涙もにじんでいたかもしれません。<br /><br />そして、私は気持ちを押さえ込めなくなってしまったのです。<br /><br />聞かれてもいないのに、私は、<br />どうして田舎から逃げ出して<br />新聞の営業をすることになったのか、<br />全ての身の上を話しました。<br /><br />彼女は話を聞き終えると、<br />こういいました。<br /><br />「あなたが正座をして待っている様子を<br />ビデオで見ていました。<br /><br />今の、あなたの話にウソはない。<br /><br />新聞の勧誘なんて仕事は、<br />あなたがやる事ではないから、<br />今すぐお辞めなさい。<br /><br />これから1年間、<br />私が新聞を取ってあげたら、<br />会社も許してくれるでしょう。<br /><br />あなたには、もっと他に、<br />なすべき仕事があるはずです」<br /><br />そういって、女性オーナーは、本当に、<br />読売新聞を１年間取ってくれることになったのです。<br /><br />そして、私は、彼女の言うとおり、なぜか、<br />その１日だけで読売新聞を辞めてしまいました。<br /><br />この人は神がかりな人かもしれないと素直に思ったのです。<br /><br />さらに、不動産会社の人を紹介してくれて、<br />アパートの保証人にもなってくれたので、<br />住む場所も確保することができました。<br /><br />かといって、<br />私は宗教に勧誘されることもありませんでした。<br /><br />女性オーナーの行為は、<br />本当に純粋な親切だったのです。<br /><br />私は、住民票を移せたので、<br />これで、札幌に仕事が見つけられるだろうとホッとしました。<br /><br />ちなみに、遅くなったけれどお礼を言いたいと思って、<br />それから１０年後にその女性オーナーに会いに行きました。<br /><br />しかし、すでに彼女は亡くなっていて、<br />家もありませんでした。<br /><br />妻のノンちゃんと一緒に３日間探したのですが、<br />結局、何の手がかりもありません。<br /><br />今でも、すごく後悔が残っています。<br /><br />「いやー、もっと早く言えば良かった。<br />もっと早くにお礼を言えれば良かった」<br /><br />隣にあった読売の建物も、<br />女性オーナーの４階建ての建物も両方、<br />跡形もなく消えていています。<br /><br />神隠しではありませんが、<br />本当に不思議な感じがしました。<br /><br />あの女性との出逢いをきっかけに、<br />仕事も見つけられましたし、<br />人生が良くなって行ったので、<br />彼女は本当に人生の恩人です。<br /><br />＜つづく＞<br /><br />次回はこちら。<br /><br /><span style="font-family: Arial, 'Hiragino Kaku Gothic Pro', 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 'ＭＳ Ｐゴシック'; font-size: 20px; color: #333333; "><a style="color: #000000; padding: 0px; margin: 0px;" href="http://ramen-minori.com/info/44627"><span style="font-size: small;"><strong>アホのチャンピオンベルト第１１ラウンド～「あなたから買うなら値段は関係ないよね」</strong></span></a></span><br /><br /><br />愛笑コメント<br />＝＝＝＝＝＝<br />中1の時のUFOといい、<br />私の人生にはなぜか、<br />不思議なことが起こります。<br />]]></description>
    </item>
    <item rdf:about="http://ramen-minori.com/info/27857">
        <dc:date>2010-04-18T22:59:00+09:00</dc:date>
        <title>アホのチャンピオンベルト第９ラウンド～「もう一度、立ち直ってみせる」</title>
        <link>http://ramen-minori.com/info/27857</link>
        <description><![CDATA[みのりの愛笑が歩んだ<br /> 「涙のアホベルトへの道のり」<br /><br />////////////////////////////////////////<br /><br /><img style="border: 0px initial initial;" src="http://goope.jp/goope/921/1004182303314qwz_m.jpg" alt="" /><br /><br />―　１１６円　―<br /><br />１９８４年の年末を、<br />２８歳の私は「死のう、死のう」と思いながら、<br />車の中で過ごしていました。<br /><br />手持ちのお金が１１６円しかなかったので、<br />外の気温は氷点下になっていましたが、<br />エンジンをかけることも出来ませんでした。<br /><br />そこは、街外れの普段は誰も来ない山の中で、<br />遠くに波の音が聞こえました。<br /><br />頭の中は、とにかく自殺のことで一杯です。<br /><br />「（私を騙した人が）見える所で首を吊って<br />せめてもの仕返しをしたい」<br /><br />そんな、会社をだまし取られた<br />悔しい気持ちもありました。<br /><br />本当に、やけくそでした。<br /><br />それでも、<br />最後にもう一度だけでも<br />妻と電話で話をしたくて、<br />寒さに震えながら、<br />最後の１１６円を<br />私は握り締めていたのです。<br /><br />電話のダイヤルは、<br />山の中に来る前に、<br />何度も回してもみましたが、<br />つながることはありませんでした。<br /><br />３１日になると、空腹もきつくなり、<br />お腹がグーグーと鳴りました。<br /><br />「今日は、大晦日か。<br />みんな、旨いもの食べているんだろうな」<br /><br />そんな事を思いながら、<br />のどが渇くと雪や氷を舐めて過ごしました。<br /><br />夜になっても、<br />寂しいのと悔しいのとで、<br />いつまでも、眠ることが出来ません。<br /><br />「一人で死のうか、いや、<br />どうせなら、復讐して死んでやる」<br /><br />心は、ずっと定まらず、<br />行ったり来たりを繰り返していました。<br /><br />このまま縁がなかったら<br />凍死してしまうかもしれない。<br /><br />「それもありだな&hellip;」<br /><br />そんな感じでした。<br /><br />今思えばよく生きていたなと思います。<br /><br /><br />―　札幌に行けば&hellip;　―<br /><br />明けて１９８４年の元旦。<br /><br />私は、自分が死ぬ前に、<br />妻と最後の連絡を取るべく、<br />共通の友人を訪ねることにしました。<br /><br />正直な気持ちだけは、どうしても、<br />伝えておきたかったのです。<br /><br />事情を話すと、<br />彼女は驚きながらも協力を約束し、<br />今すぐ、結論は出すなといいました。<br /><br />そして、返さなくていいからといって、<br />当面の生活費を私に貸してくれたのです。<br /><br />「私も頑張ってみるから希望を棄てないで」<br /><br />結局、すぐには、<br />妻との連絡は取れませんでした。<br /><br />それでも、彼女の親切や、<br />涙を流して同情してくれたことに<br />応えたいという気持ちもあって、私は、<br />もう少しだけ頑張ってみることにしました。<br /><br />「きっと、妻子もいつかは必ず、<br />帰ってきてくれるだろう」<br /><br />でも、今は、全てを失い、<br />このみじめな変わり果てた姿を、<br />この街でさらす事はできません。<br /><br />そんな事を考えながら、<br />私は、街を出ることにしました。<br /><br />「札幌に行けば、<br />きっと何かが変わる」<br /><br /><br />―　とんでもない臭い生活　―<br /><br />札幌に着くと、<br />正月休みの街は、<br />福袋や初売りの品を買う親子連れで、<br />ガヤガヤと賑わっていました。<br /><br />私は、駅のトイレで顔を洗うと、<br />ゴミ箱に捨ててある新聞を拾い集めて、<br />仕事を探すことにしました。<br /><br />少しでもお金を節約しようと思ったのです。<br /><br />そして、仕事始めまでの３日間は、<br />人通りのない豊平川の川ぶちや、<br />公園なんかに車を止めて寝泊りをしていました。<br /><br />毎日、ジャンバーにまるまって寝ていたのですが、<br />よく死ななかったと思います。<br /><br />そして、ついに１月４日の仕事初めを迎えました。<br /><br />私は、新聞でチェックしていた、<br />住み込みで、お風呂があって、<br />住民票が無くても採用してもらえそうな、<br />会社の仕事を探し始めました。<br /><br />すでに１０日以上、<br />お風呂には入っていませんでした。<br /><br />とんでもない臭い数日間でしたが、<br />心には決意を秘めていました。<br /><br />「もう一度、立ち直ってみせる」<br /><br />しかし、私が入った会社は、<br />実は、とんでもない所だったのです。<br /><br />＜つづく＞<br /><br />（次回はこちらの内容をお届けします）<br /><br /><a href="http://r.goope.jp/taisyo/info/32978" target="_self">「入社月から日本一の電話加入権営業マンになる」</a><br /><br /><br />愛笑コメント<br />＝＝＝＝＝<br />人生って、本当に分りませんよね。<br /><br /><br />]]></description>
    </item>
    <item rdf:about="http://ramen-minori.com/info/20427">
        <dc:date>2010-02-26T09:43:00+09:00</dc:date>
        <title>アホの第８ラウンド「みのりの始まり物語」</title>
        <link>http://ramen-minori.com/info/20427</link>
        <description><![CDATA[「アホの妻のチャンピオンベルト～特別編」<br /><br />///////////////////////////////////////<br /><br />あらためまして、<br />いつもラーメンみのりのメルマガをご覧下さり、<br />本当に、ありがとうございます。<br /><br />私をはじめ、スタッフ一同、<br />みなさまからのご感想を、<br />とても楽しみに、毎回、<br />拝見させていただいております。<br /><br />沢山の励ましや勇気を頂き、<br />心から感謝申し上げます。<br /><br /><img src="http://goope.jp/goope/921/1002260946155z4p_m.jpg" alt="" /><br /><br />今回は、いつもと趣向を変えて、<br />私から見た石崎（大将）との出逢い、<br />そして、「みのり」がオープンする<br />物語をご紹介させて頂きます。<br /><br /><br />私が大将と出会ったのは、<br />１９９４年１月３日。<br /><br />新札幌のホテルのロビーが初めての場所でした。<br /><br />あれから１６年が経ちましたが、<br />結婚生活を振り返ってみると、<br />大将には、ずっと、<br />一つだけ大きな不満があります。<br /><br />でも、すごく優しい人なんです。<br /><br />そして、最近になって、<br />私の気持ちが少し変化してきました。<br /><br /><br />さて、私たちの出逢いは、<br />実は、お見合いでした。<br /><br />手配師のおばさんから大将の写真を見せてもらい、<br />神妙な表情でこちらを見つめる緊張した姿から、<br />最初、私は素朴で頼りがいがある人なんだろうと、<br />勝手に想像していました。<br /><br />誰か、一緒にいられる人を<br />ずっと探していたのです。<br /><br />当時、私の年齢は、<br />３０代で、毛皮の販売をする会社で<br />事務の仕事をしていました。<br /><br />けれども、<br />仕事にも生活自体にも満足できない日々。<br /><br />「結婚をして、まったく違う世界に行きたい」<br /><br />毎日、そんな事を考えていました。<br /><br />会社では、<br />年上の同僚から、<br />プライベートな事をネチネチと<br />聞かれたりする事に、<br />少し疲れていました。<br /><br />そんな、私でしたが、<br />将来には夢がありました。<br /><br />「小さくても持ち家に住めて、<br />生活が安定していて、<br />親を大事にしてくれる人と<br />結婚をしたい」<br /><br />そんな私に、<br />手配師のおばさんはこういいました。<br /><br />「アワビの養殖の仕事をしていて、<br />しっかりした人だよ」<br /><br />それを聞いた私は、<br />無邪気に考えていました。<br /><br />「これで、きっと夢が叶うんだ」<br /><br />私にとっての白馬の騎士が、<br />大将だったのです。<br /><br />そして、私達はホテルのロビーでご対面。<br /><br />「想像より老けているなあ。<br />見た目もパッとしないし&hellip;」<br /><br />それが、第一印象でした。<br /><br />「でも、お付き合いしながら好きになればいい」<br /><br />そんな風に、自分を励ましたりしていました。<br /><br />「何とかなりそうかな、どうだろう？」<br /><br />そう思っていた私の背中を、<br />両親は「立派な人だね」と後押してくれました。<br /><br />それから、約３ヶ月でスピード入籍。<br /><br />一緒に暮らし始めた最初のうちは、<br />お庭のある大きなお家に住むことが出来、<br />将来の期待も膨らんでいました。<br /><br />「これから人生が良くなっていくはず&hellip;」<br /><br />ところが、しばらくすると、<br />アワビの会社の業績が悪くなってきたことから、<br />生活の雲行きが怪しくなってきたのです。<br /><br />収入もガタンと減ったので、<br />私たちは団地に引越し、<br />セカセカとした暮らしをすることになりました。<br /><br />「私は、この人しかいないんだから、<br />頑張ってついていかなきゃ」<br /><br />そう、思いながらも、<br />何だかとても辛くて、<br />ストレスで体調を崩したりしていていました。<br /><br />そうこうしているうちに、<br />アワビの会社が倒産。<br /><br />私たちは、カニの卸をやるか、<br />知り合いのつてでラーメン店をやるか、<br />どちらかを選択することになりました。<br /><br />その時には、生活のためには私も働かなきゃいけないと、<br />私も覚悟を決めていました。<br /><br />結局、カニの仕事は安定していないので、<br />知り合いがやっているラーメン店に<br />私たちは修行に入ることにしました。<br /><br />当別にあったその店の社長さんは、<br />顔も身体もゴリラみたいに迫力がある、<br />本当に怖い人でした。<br /><br />気に入らないことがあると、<br />しょっちゅう、<br />中華鍋や、<br />熱湯のついたさいばしで、<br />従業員を叩いたり、<br />お客さんの前で、<br />口汚く怒鳴ることもありました。<br /><br />とくに、社長は、<br />なぜか大将のことが気に入らないらしく、<br />感情を爆発されることが沢山ありました。<br /><br />「ブタは邪魔なんだよ！」<br /><br />私から見た大将は、<br />社長よりも仕事が出来て、<br />従業員からも慕われていました。<br /><br />それが、きっと<br />気に入らなかったんだと思います。<br /><br />あと、理由もないのに、<br />お客さまに土下座させられたこともありました。<br /><br />あの光景は、<br />一生忘れられません。<br /><br />大将の背中を見ながら、<br />私は、恐くて、<br />何も出来ませんでした。<br /><br />悲しくて、悲しくて、<br />泣きながらまかないのラーメンを<br />すすったのを覚えています。<br /><br />あれは、テールスープを試食した日でした。<br /><br />私は、その社長が憎たらしくて、<br />嫌でしょうがありませんでした。<br /><br />それでも、大将は、<br />どんなに嫌なことがあっても、<br />自分より弱い人に当り散らすようなことはありませんでした。<br /><br />私には、とても出来ません。<br /><br />すごい人なんだなと思いました。<br /><br /><br />ところが、<br />そんな事があっても耐えていた私たちに、<br />ある日、いい報せがありました。<br /><br />千歳に店を出して、<br />ゆくゆくは任せてくれる<br />というのです。<br /><br />私たちは涙を流して喜びました。<br /><br />「自分たちの店が持てる」<br /><br />それからは、３６５日、<br />身体がバラバラになるくらい、<br />毎日、仕事を頑張りました。<br /><br />そうこうするうちに、<br />千歳に出したその店は、<br />本店を上回るほどの繁盛店になりました。<br /><br />私達は、どんなに身体が疲れても、<br />自分達の店に夢を膨らませていました。<br /><br /><br /><br />そんなある日、<br />とんでもない出来事が起こりました。<br /><br />社長が、私たちを<br />突然、店から追い出してしまったのです。<br /><br />その日、いつも通りに<br />午前８時に出勤した私たちでしたが、<br />社長が先に店にいて、<br />いきなり怒鳴りつけてきたのです。<br /><br />「遅刻しやがってけしからん！<br />出て行け！破門だ！」<br /><br />そういって、<br />社長が二の腕をまくりあげると、<br />びっしりと刺青が入っていて、<br />私たちは言葉を失ってしまいました。<br /><br /><br />完全ないいがかりでした。<br /><br />しかし、どうすることもできす、<br />来た道を２人でトボトボ引き返してきたのです。<br /><br /><br />突然の事で、<br />本当にびっくりしましたが、<br />冷静になってみると、<br />あれだけ大将にひどい事をした人ですから、<br />縁が切れてかえってせいせいしました。<br /><br />「あんな奴の顔を２度と見ないですむわ！」<br /><br />それなのに、大将は、<br />あまり怒った様子もなく、<br />お気楽な様子。<br /><br />「お世話にも沢山なったじゃないか」<br /><br /><br />社長の予想では、<br />千歳の店が本店を上回るほど<br />繁盛をするなんて、<br />ぜんぜん考えていなかったようです。<br /><br />こうして、私達は、またもや<br />突然、路頭に迷ってしまいました。<br /><br />その時には、もう、どうやって、<br />生活していこうか考えるのが精一杯で、<br />夢どころの騒ぎではありませんでした。<br /><br />そして、どうするか考えていたのですが、<br />心の中では大将も、私も、こう考えていました。<br /><br />「もう、私達には、<br />ラーメンしかない」<br /><br />でも、どうしたら自分たちで<br />お店をオープンできるんだろう&hellip;。<br /><br />そうすると、<br />ありがたいことに、<br />お店の常連さんや、<br />友人、仕入先さんなどの色んな方が<br />応援して下さることになり、<br />自分たちの店をオープンできることになったのです。<br /><br />そして、１９９５年１月２４日、<br />千歳市自由が丘という場所で<br />私たちは店を始めさせて頂きました。<br /><br />店名は、「道裕」（みちひろ）の「道」と、<br />「紀子」（のりこ）の「のり」を合わせて<br />「道のり」（みのり）と名づけさせて頂きました。<br />「みちのり」ではなく「みのり」と読みます。<br /><br />「まだまだ、美味しいラーメンを<br />つくれない私たちだけど、<br />一歩ずつ一歩ずつ進んでいこう」<br /><br />そんな事を話しながら店名を決めました。<br /><br />そして、本当に休み無く、<br />スープの仕込みから営業、<br />翌日の準備と後片付けで、<br />朝の５時から夜の１２時まで<br />３６５日働きました。<br /><br />お店は、自衛隊さんや、<br />地域の方々にご愛顧頂き、<br />おかげさまで、<br />にぎやかな毎日。<br /><br />そして、７年後の２００２年、<br />７月２２日、自由が丘から、<br />現在の３６号線沿いに移転したときに、<br />「道のり」を「みのり」と、<br />変更させていただいたのです。<br /><br /><br />振り返ってみると、<br />色んな事がありましたが、<br />中でも、大将には腰のヘルニアがあって、<br />ずっと辛かったと思います。<br /><br />厨房にダンボールを敷いて<br />ショックを和らげたり、<br />靴のつま先を切り落とすような工夫をして<br />頑張っていました。<br /><br />横で見ていて心配になりましたが、<br />泣き言は、殆ど聞いた事がありません。<br /><br /><br />あと、これまで、<br />大将がしてくれたことで、<br />一番嬉しかったのは、<br />私が乳がんになった時に、<br />一生懸命はげましてくれたことです。<br /><br />「やばいかな&hellip;」<br /><br />そう、考えつつも実際に乳がんの診断を受けたとき、<br />私は、本当に怖くて、不安で一杯でした。<br /><br />当時は、今のように、<br />再発も無く完治する人は、<br />まだ、少なかったのです。<br /><br />病院の廊下に張ってある<br />誘導テープの上をフラフラと、<br />真っ直ぐ歩けないくらい意識が<br />もうろうとしたのを覚えています。<br /><br />「せっかく私を選んでくれたのに、<br /> 全摘になってごめんね」<br /><br />大将には、そんな手紙を書いたのを<br />覚えています。<br /><br />そして、明日、手術というその日の夜。<br /><br />小さな川に面していた私の病室に<br />パッと光が入ってきてパパパンと音が鳴りました。<br /><br />窓に近づいて見ると、<br />大将が向こう岸で花火を<br />次から次にあげているのです。<br /><br />私は、思わず窓を開けました。<br /><br />「絶対に大丈夫だよ。<br /> 心配ないよ。<br /> 俺がついているから！」<br /><br />大将が涙ながらに声を張り上げていました。<br /><br />あの時には、本当に勇気が出て嬉しかったです。<br /><br /><br />あと、一つだけある不満については、<br />どうしても言いたいのですが、<br />長くなってしまうので、<br />それは、また、<br />いつかご紹介したいと思います。<br /><br /><br />みなさんもご存知のように、<br />大将は、年だけはとっていても、<br />子供みたいな人ですので、<br />ご迷惑をおかけすることもあると思いますが、<br />どうぞ、ご容赦下さいませ。<br /><br />あと、何かお気づきになられた時には、<br />色々とご指導下さいませ。<br /><br /><br />ご来店下さった時には、<br />元気なるラーメンを精一杯<br />お作りさせていただきます。<br /><br /> 石崎紀子<br /><br /><br />愛笑コメント<br />///////////////<br /><br />今回、妻の気持ちで<br />初めて分ったことがたくさんあって、<br />びっくりしました。<br /><br />次回は、また、私の物語を中心に、<br />お届けさせて頂きます。<br /><br />第９ラウンドは<a href="http://r.goope.jp/taisyo/info/27857">こちら</a>]]></description>
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        <dc:date>2010-01-19T21:55:00+09:00</dc:date>
        <title>アホの第７ラウンド「漁師の弁論大会で優勝すれば、ご両親に認めてもらえるかもしれない」</title>
        <link>http://ramen-minori.com/info/15881</link>
        <description><![CDATA[□□５１歳で見つけた人生初めての夢□□□□□□□□□□□□□□□□□<br /><br /> アホのチャンピオンベルト第７ラウンド<br /><br /> みのりの愛笑が歩んだ<br /> 「涙のアホベルトへの道のり」<br /><br />＜漁師の弁論大会で優勝すれば、ご両親に認めてもらえるかもしれない＞<br /><br />□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□<br /><br /><br />（これまでの内容）<br /><br />貧乏な上に村八分で、<br />更には、捨て子という幼少時代を過ごした私は、<br />人生に希望が持てずに、<br />１３歳の頃から死ぬことばかり考えていました。<br /><br />ところが、ある夜、UFOに出逢ったことで<br />漁師の才能に目覚め、生活が一変してしまったのです。<br /><br />私は次第に自信を持つようになり、<br />町の青年団でも中心的な活動をするようになりました。<br /><br />そして、１９歳の時に、<br />生まれて初めての彼女が出来たのです。<br /><br />私は、彼女と結婚して家庭を持つために、<br />酒びたりで暴力を振るう叔父から<br />独立を果たし、漁協の後継者育成制度を利用して、<br />自分の船を購入しました。<br /><br />漁を始めると１日で１万円くらいの<br />売上げを立てるようになり、<br />生活の基盤も、少しずつ整っていきました。<br /><br />ところが、彼女の両親や親戚一同は、<br />家柄や学歴など様々なことを理由に、<br />私たちの結婚には絶対に反対という立場で、<br />ついには、会うことすら禁止されてしまったのです。<br /><br />（ここからが今回の内容です）<br /><br />一体、これから、どうやってご両親を説得しようかと<br />考えていた１９７６年、私が２０歳の春。<br /><br />ある日、私は漁協を通じて<br />「漁師のための弁論大会」<br />というものが開催されるのを知りました。<br /><br />それは、漁業青年部の大会で、<br />各市町村から代表者が集まり、<br />全道大会が開催されるのです。<br /><br />「これはご両親にアピールする大チャンスだ」<br /><br />そう、思った私は、<br />自分が中学すら卒業していないことも忘れて、<br />絶対に決勝大会まで出場しようと思いました。<br /><br />「これからの漁業」というのが大会のテーマです。<br /><br />私は無事に予選を通過し、<br />本戦では「獲る漁業から育てる漁業」という<br />発表をしたのですが、結果、そこで、<br />まさかの優勝をしてしまいました。<br /><br />「中学も出ていない、<br />作文できない自分が優勝できた」<br /><br />彼女のためにやれたと思えた！<br />俺が北海道１位になれた！<br /><br />嬉しさと驚きで一杯でした。<br /><br />そして、この大会の模様は、<br />北海道新聞や水産新聞にも掲載され、<br />私は、ちょっとした地元の有名人になって<br />しまいました。<br /><br />彼女も、親戚に「こんな人なんだよ」といってくれて、<br />親戚の方々の見る目も変わっていきました。<br /><br />それでも、お母上の気持ちだけは<br />最後まで、動かす事は出来なかったのです。<br /><br />当時は、漁師として認めてくれてきていることも<br />分かっていたので「どうして？」という気持ちが募りました。<br /><br />今になってみると、<br />地元の漁師仲間の間で私達家族が村八分に<br />されていたことから、お母上も、随分、<br />白い目で見られていたんだなと思います。<br /><br />考えてみると、気の毒な話です。<br /><br />港で漁師たちが水揚げをする時に、<br />地元のご婦人達がグループとして網にかかった魚を外したり、<br />仕分けたり、みんなで協力し合っていました。<br /><br />その仲間に、<br />いつまでも石崎は入れなかったのです。<br /><br />私は、だからこそ、<br />彼女を人一倍幸せにしたいと思っていました。<br /><br />その頃、漁でとってきた魚やカニが<br />千歳空港では港の１０倍の値段で<br />売れていることを知りました。<br /><br />そして、漁師から魚屋になることを夢見て、<br />私は魚売りを始めたのです。<br /><br />地元の魚屋に持っていくと、<br />市場のセリ値以下に買い叩かれて苦労もしたのですが、<br />魚は、すぐに腐ってしまうので売らなければいけません。<br /><br />私たちは、とった魚を車のトランクに積めて、<br />一軒、一軒、山や牧場のご家庭に売り歩くことにしました。<br /><br />これが、本当に良く売れて、<br />結婚をするためのお金も溜まりました。<br /><br />彼女は、保母さんの仕事をしながら<br />手伝ってくれていました。<br /><br />そして、とうとう、<br />１９７８年２月１６日、<br />私たちは許されて結婚する事が出来ました。<br /><br />翌１９７９年５月１６日には、<br />念願だった長男が生まれました。<br /><br />出産はとても難産で、<br />帝王切開をすることになりました。<br /><br />「母子ともに危ない」<br /><br />先生の言葉に、<br />母子の健康のためなら<br />自分はどうなってもいい。<br /><br />「わらをもすがる」というのは<br />こういう気持ちかと苦しくなりました。<br /><br />そして、おぎゃあと生まれた時には、<br />黄疸がひどく、この子大丈夫かなと心配になりました。<br /><br />それでも、<br />女房には、<br />ただ、ただ感謝です。<br /><br />「よく頑張った、よく頑張った」と声をかけ、<br /><br />そして、二人で泣きました。<br /><br />それから、私は、<br />家族のために馬車馬のように働き、<br />魚屋も繁盛しました。<br /><br />最高の時には、<br />利益だけで１日に２００万円、<br />１週間に１２００万円も<br />稼いだこともありました。<br /><br />叔父と漁師をしていたときには、<br />月に３０００円、１日１００円だった私です。<br /><br />それが、１０年後には、<br />同じ１日で１００万円、２００万円を<br />稼ぎ出すようになれたのです。<br /><br />能力のない私にそんな事が出来たのは<br />家族が出来たからに他なりません。<br /><br />しかし、その後、<br />いろいろありまして、<br />有限会社にしていた魚屋は<br />だまし取られてしまいました。<br /><br />そして、息子が５歳の時に、<br />女房、子供と別れて暮らす事になったのです。<br /><br />「血を分けた子供と２度と会えない」<br /><br />それが、２８歳、家族もお金も、<br />友人もなく、再び、途方に暮れた私の姿でした。<br /><br />＜つづく＞<br /><br />（次回はこちらの内容をお届けします）<br /><br /><a title="みのりの始まり物語" href="http://r.goope.jp/taisyo/info/20427" target="_blank">「みのりの始まり物語」</a><br /><br /><br />愛笑コメント<br />///////////////<br /><br />ここからが、さらに、色々なことのオンパレードです。<br />アホへの道のりは、まだ、まだ続きます。]]></description>
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        <dc:date>2010-01-19T21:52:00+09:00</dc:date>
        <title>アホの第６ラウンド「もう、２度と死のうなんて思わない」</title>
        <link>http://ramen-minori.com/info/15880</link>
        <description><![CDATA[□□５１歳で見つけた人生初めての夢□□□□□□□□□□□□□□□□□<br /><br /><br /> アホのチャンピオンベルト第６ラウンド<br /><br /> みのりの愛笑が歩んだ<br /> 「涙のアホベルトへの道のり」<br /><br /> ＜もう、２度と死のうなんて思わない＞<br /><br />□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□<br /><br />（前回までのあらすじ）<br /><br />私が育った家庭は、<br />毎日の食事すらままならない程に貧しく、<br />酒乱の父がいたことから、近所でも村八分の状態でした。<br /><br />もの心がつく頃から私には友達もおらず、<br />いじめられてばかりの日々を過ごしていましたが、<br />父だと思っていた祖父の死を期に、<br />私は赤ん坊の時に母親に棄てられていたことを知りました。<br /><br />それと同時に、<br />一家が稼ぎ手を失ってしまったことから、<br />中学１年生にして勉学を諦め、<br />漁師をすることになったのです。<br /><br />船酔いでのた打ち回り、<br />仕事の出来ない私は、<br />一緒に漁に出た叔父から殴られて、<br />毎日半殺しにされていました。<br /><br />その頃は、完全に生きる意味を見失い、<br />毎晩、枕の下に隠した果物包丁で、<br />自分の胸を突き刺すことばかり考えていましたが、<br />いつも、あとちょっとの所で実行できずにいました。<br /><br />そんな、夢も希望も失ってしまったある日、<br />漁に出ていた私の前にUFOが現れたのです。<br /><br />しばらく目の前を飛んだUFOは、<br />そのまま姿を消してしまいましたが、<br />私は、きっと、自分を励ましに来てくれたんだと思い、<br />「生きていればいいことがあるはず」と、<br />前向きに人生を生きようと思うようになりました。<br /><br />それから、なぜか、<br />私が「ここだ！」と思った場所に網を入れると、<br />大漁になることが続き、貧乏だった家庭は<br />一気に裕福になっていきました。<br /><br />毎回、魚を満載して帰港する叔父に、<br />港の漁師仲間達が魚が取れる場所を教わろうと<br />集まるようになりましたが、<br />叔父は彼らにウソの情報を流しました。<br /><br />私たちは、益々、嫌われ者になっていきました。<br /><br />ご飯はお腹一杯食べられるようになりましたが、<br />わずかなお給料ではボロアパートの家賃にすらなりませんでした。<br /><br />「一日も早く、この家を出て行きたい」<br /><br />その頃、私は、１９歳になっていました。<br /><br />（ここからが今回の内容です）<br /><br />この頃になると、叔父の事はさておき、<br />私自身への周りの見る目も変わっていたように思います。<br /><br />当時、私は町の青年団に参加していて、<br />街を元気付けるサークルの実行委員長をしていました。<br /><br />実際には出逢いを求める男女の集まりなのですが、<br />街の成人式も自分達で企画したり、<br />それなりに積極的な活動をしていました。<br /><br />会合は町民センターで行っていて、<br />私はそこで顔を合わせる、ある女性に夢中でした。<br /><br />彼女は、同じ町民センターを拠点に活動している<br />ボランティアサークルに参加している、<br />１歳年上の女性です。<br /><br />容姿も抜群で、<br />家柄も良いことから地元では憧れの存在でした。<br /><br />そんな彼女が、ある日、<br />私に声をかけてくれたのです。<br /><br />それが、どんな言葉だったのか、<br />今では思い出すことが出来ません。<br /><br />それまでの人生で、女性から話しかけられた経験のない私は、<br />ただ、ただ本当にびっくりして頭の中も真っ白でした。<br /><br />帰りがたまたま同じ方向だった私たちは、<br />それをきっかけに話したり、<br />一緒に帰ったりするようになったのです。<br /><br />それから、間もなく、<br />私は彼女から衝撃の告白をされました。<br /><br />「あなたが好きです」<br /><br />彼女の突然の告白に、<br />私は躊躇することなく<br />「実は俺も好きだった」と、<br />勇気を出して伝えました。<br /><br />めっちゃ感動してしまい、<br />体中がしびれました。<br /><br />そして、お付き合いが始まったのです。<br /><br />彼女が、昔、私が、いじめられていた事を<br />知っていたのかどうかは分かりませんでした。<br /><br />私も、その頃には、<br />自分に学歴がないことや、<br />村八分だった事について、<br />気にしてはいませんでした。<br /><br />自慢話みたいでごめんなさい。<br />本当に、死ななくて良かったと思います。<br />中学の時に見たUFOが人生を変えてくれたのです。<br /><br />彼女と一緒にいるのは殆どが車の中で、<br />私たちは果てしなく色々なことを話しました。<br /><br />口では真面目なことを話していた私でしたが、<br />頭の中はエッチな事ばかり浮かんできて大変でした。<br /><br />私にとっては人生がひっくり返るような大問題です。<br /><br />「本当に好きな人とエッチできるんじゃないか？」<br /><br />最初に会ったときから、<br />私は彼女との結婚を意識していました。<br /><br />しかし、叔父さんと一緒に漁をしていては、<br />結婚が出来ません。<br /><br />そこで、独立しようと思うようになったのです。<br /><br />「好きな人が出来て、<br />お金を貯めて結婚したい」<br /><br />恋愛感情を持てた人は生まれて初めてで、<br />私にとっては、<br />とてつもなく好きな人でした。<br /><br />早速私は、<br />漁協の後継者育成制度を利用して、<br />小さな船と網を買いました。<br /><br />助成と融資でお金が都合できたのです。<br /><br />小さい船では岸が見えるくらいまでしか<br />行けませんでしたが、魚は沢山とれました。<br /><br />「ただ、ただ彼女と結婚したい」<br /><br />朝から晩まで働いても幸せの絶頂だった私は、<br />以前は、３０日働いて３０００円、<br />１日あたり１００円しか貰えなかったのが、<br />自分で漁をするようになると<br />１日１万円も稼げるようになっていました。<br /><br />そして、月３０００円で浜の近くで部屋を借り、<br />一人暮らしを始めたのです。<br /><br />雨漏りするようなボロボロの小屋で、<br />銭湯の裏にくっついている建物でした。<br /><br />彼女が現れるのを待つ時間は、<br />時が経つのが長くて、長くて、<br />すごく、辛く感じたのを覚えています。<br /><br />そして、<br />彼女が来る日には、<br />なぜか、<br />隅々まで掃除をしたり、<br />ふとんを替えたり、<br />カーテンを替えたり、<br />がらにもなく花を買って、<br />部屋を飾ったりしたのでした。<br /><br />そこに、仕事の後、<br />彼女が遊びに来てくれるのです。<br /><br />夜の９時から、<br />船が出る深夜１２時までのわずかな時間が、<br />私にとっては何ものにも替えがたい貴重な瞬間でした。<br /><br />彼女との結婚に向けて、<br />ご両親にも賛成してもらえるように<br />私は思いつく限りの努力をするようになりました。<br /><br />「漁師の俺と結婚したんだから、<br />これだけ幸せになれたんだ」<br /><br />そう、証明できるように頑張ろう。<br /><br />私自身、いじめや中学中退という経験は辛かったので、<br />生まれてくるだろう子供には同じ想いを<br />味合わせたくないと思いました。<br /><br />しかし、彼女のご両親、ご家族、親戚一同は、<br />いくら漁師として頑張ってみても、<br />私との結婚には、完全拒否、絶対反対の立場で、<br />何をやっても想いは通じませんでした。<br /><br />そして、次第に、外出すらも<br />許されなくなってきたのです。<br /><br />それでも、彼女は、<br />ご両親の目を盗んでは<br />逢いに来てくれたのでした。<br /><br />私は、なぜ、こんなに反対されて、<br />きつい事を言われるんだろうと思いました。<br /><br />そして、どんなに苦労しても<br />絶対に認めてもらおうと思いました。<br /><br />２人でいる時に、<br />彼女が両親から反対されて<br />泣いている姿を見るのは<br />とても辛かったです。<br /><br />それでも、涙ながらに<br /><br />「私はあなたが働いている姿が好きなので、<br />絶対に、乗り越えていきたい」<br /><br />そう、彼女に励まされるたびに、<br />すごい勇気が湧いてきました。<br /><br />それまで、私のことを「情にもろい泣き虫」だと<br />思っていたのは知っていましたが、<br />信じてもらえたことで、<br />私の中にとてつもない力が湧いてきました。<br /><br />夫婦になって胸が張れるようにしたいと思いました。<br /><br />解決策はまったく見当たりませんでしたが、<br />どんなに苦しくても、今回は死のうとはもう思いませんでした。<br /><br />＜つづく＞<br /><br />（次回はこちらの内容をお届けします）<br /><br /><a href="http://r.goope.jp/taisyo/info/15881" target="_self">「漁師の弁論大会で優勝すれば、<br /> ご両親に認めてもらえるかもしれない」</a><br /><br /><br />愛笑コメント<br />＝＝＝＝＝<br />信じてもらえることで発揮できる力って、<br />本当にスゴイと思います。]]></description>
    </item>
    <item rdf:about="http://ramen-minori.com/info/12092">
        <dc:date>2009-12-13T22:02:00+09:00</dc:date>
        <title>アホの特別編「イスラエルに行って更にアホな生き方を貫くことを決意しました」</title>
        <link>http://ramen-minori.com/info/12092</link>
        <description><![CDATA[<pre style="width: 550px; word-wrap: break-word; overflow-x: auto;" lang="ja"><br />今回は、<br />イスラエルでの体験を<br />どうしても、お伝えしたくて、<br />特別号を企画しました。<br /><br />なぜ、<br />私のような千歳で小さなラーメン屋を<br />やっている親父が店を放ったらかして<br />イスラエルなのか？<br /><br />不思議に思われた方も、<br />おられるかもしれませんね。<br /><br />実は、私も、自分が行くなんて、<br />考えたこともありませんでした。<br /><br />イスラエルに<br />親しみを持っている方にはごめんなさい。<br /><br />その理由は、きっと、<br />若い頃にテレビ等で知った、<br />中東戦争の記憶が色濃く残っていたからかもしれません。<br /><br />アホと戦争は相性が悪いのです。<br /><br />そんな私でしたが、<br />三重県津市の赤塚建設株式会社の社長、<br />赤塚高仁さんにお誘い頂き、<br />今回、出かけることにしたのです。<br /><br />赤塚さんといえば、<br />山元加津子先生の映画に<br />出演されておられるのでご存知の方も<br />いるかもしれません。<br /><br />他にも、<br />沢山の頑張っている方々の<br />支援をしておられます。<br /><br />その赤塚さんから、<br />「一緒に行こう」と誘われれば、<br />断る理由はありません。<br /><br />そんな赤塚さんですが、<br />若い時には色々あって、<br />自殺未遂をしたことがあったそうです。<br /><br />その時の気持ちは、<br />私にも分かるような気がします。<br /><br />意識不明の状態から、<br />３日目に奇跡的に意識を回復し、<br />出逢ったのが生涯の師と仰ぐ糸川英夫博士でした。<br /><br />博士は「日本の宇宙開発の父」と呼ばれる大科学者です。<br /><br />その博士が、<br />赤塚さんにイエスキリストの生き方を紹介し、<br />それがきっかけで、彼は自分の人生をどう生きたいのかを、<br />知ることができたそうです。<br /><br />二人の交友は、１９９９年に、<br />博士がこんな言葉を残して亡くなるまで続きました。<br /><br />「日本とイスラエルの絆を深めなければならない」<br /><br />こうして、赤塚さんは、<br />イエスの足跡を辿るイスラエルツアーを、<br />個人的に主催するようになったのです。<br /><br />そんな事を考えているうちに、<br />五日市剛さんの伝説の小冊子<br />「ツキを呼ぶ魔法の言葉」に出てきた、<br />イスラエルのおばあさんの話も思い出しました。<br /><br />私は、あのおばあちゃんが大好きなのです。<br /><br />「これは行くしかないな」<br /><br />さて、<br />気分はどんどん前向きになってきた私ですが、<br />妻に相談するときには申し訳ない気持ちで一杯でした。<br /><br />「毎度、アホなことばかりやりたがって、<br />　ちっとも幸せに出来ずにゴメン！」<br /><br />今回も妻は笑顔で私を送り出してくれました。<br /><br />（イスラエルにて）<br /><br />聖書の物語をたどる旅は、<br />イエスが歩いた道のりでした。<br /><br />ゴルゴダの丘では、<br />イエスは処刑されるために、<br />1キロもの道のりを、<br />自分をはり付けにするための十字架を担いで、<br />歩いていったそうです。<br /><br />７０キロもの重みに耐えられず、<br />何度も倒れながら、<br />その度に立ち上がっていったとの事でした。<br /><br />私たちが現地に行ったときには、<br />燃えるような日差しと灼熱の中で、<br />イエスは何のためにこの道を歩いたのだろうか？<br />そんなことを考えたりもしました。<br /><br />今から、約２０００年前の出来事です。<br /><br />残念だったのは、<br />観光客相手に実物大のレプリカを用意して、<br />イエスのように十字架を背負いながら歩く<br />体験を売っている人がいたことです。<br /><br />見ていて、<br />とても悲しい気持ちがしました。<br /><br />４日目に訪れたマサダの丘では涙が止まりませんでした。<br /><br />有名な死海のほとりにある、<br />地上４００メートルの岩山の頂上に砦が築かれていて、<br />内部には宮殿やサウナ・大浴場もあり、<br />さながら都市のようになっています。<br /><br />紀元６６年、<br />ユダヤ人は支配者であるローマ帝国の侵攻に対して、<br />独立戦争を始めたものの、<br />圧倒的な兵力に押されて、<br />すぐに首都であるエルサレムを奪われ、<br />どんどんと追い詰められていきました。<br /><br />そして、<br />最後に残った９６７人が、<br />この砦に立て篭もって<br />３年間の戦いを繰り広げたのです。<br /><br />この戦いに敗れれば、<br />ユダヤの国が地上から消えてしまいます。<br /><br />一方のローマ軍は１５０００人の兵士達がこの砦を囲み、<br />ユダヤ人の捕虜を人間の縦にして、<br />攻め寄せてきました。<br /><br />立て篭もったユダヤ人たちは、<br />数年分の食料や水や武器を準備して戦いましたが、<br />ローマ軍の盾になっているのが<br />ユダヤ人の捕虜だということが分かると、<br />石を落としたり、<br />矢を放つことが出来なくなってしまいました。<br /><br />「このまま敵の盾になっている味方を殺して戦っても、<br />いずれは、攻め滅ぼされてしまう。<br />しかし、敗れて奴隷になることよりも自ら死を選ぼう」<br /><br /><br />司令官エルアザー・ベン・ヤイールの指示で、<br />全員の自決が決定しました。<br /><br />しかし、ユダヤ教の掟で自殺は禁じられています。<br /><br />そこで、<br />まず、家長の男達が自分の家族全員を殺しました。<br />そして、生き残った男は１０人ずつのグループに分かれて、<br />くじを引き、負けた一人が残りの９人を殺したのです。<br /><br />そして、最後に残った一人だけが自殺をしました。<br /><br />私たちは、まさに、<br />司令官が全員自決の指示を出した、<br />同じ部屋で、ガイドの榊原さんと、<br />赤塚さんからこのお話を聞きました。<br /><br />私と同じような、<br />子供も女房もいる男達は、<br />どんな気持ちで家族を殺め、<br />そして、最後の殺人役となるくじを引いたのでしょうか？<br /><br />自分なら家族が殺せるだろうか？<br /><br />どんな理由があってもできません。<br /><br />味方も殺せませんし、<br />家族も殺せません。<br /><br />当時の人々の苦難を想い、<br />ただ、ただ滝のように涙が流れました。<br /><br />ローマ軍が砦に突入したとき、<br />そこには無数の死体がそのまま放置されていたそうです。<br /><br />その後、<br />ローマ帝国に対して、<br />各地で生き残ったユダヤ人による、<br />一時的な抵抗が一度だけ行われましたが、<br />イスラエルという国は地上から消え去り、<br />ユダヤ人はその後約１９００年もの間、<br />世界中を放浪することになりました。<br /><br />再びイスラエルが復活するのは、<br />１９４８年５月１４日の<br />ベングリオンによる独立宣言の時です。<br /><br />今でも、<br />イスラエル人の中には、<br />この砦で成人式を行う人が、<br />かなりいるそうです。<br /><br />ちなみに、<br />男の子の成人式は１３歳で行われます。<br /><br />夕暮れからはじまる儀式の中で述べられる誓いの言葉には、<br />ズシンとお腹に響くものがありました。<br /><br />「マサダを２度と繰り返さない」<br /><br />紀元７３年のローマ軍の突入時、<br />２人の女性と５人の子供たちが<br />貯水槽に隠れていたところを発見され、<br />この物語が後世に伝えられました。<br /><br />なぜ、この７人だけが生き残ったのかは、<br />未だに謎とされています。<br /><br />私はマサダからの帰り道、<br />自分の無力さや存在の小ささに震えていました。<br /><br />世界中には、<br />私のように平和な国の平和な時代に生きている人がいる一方で、<br />こんなに大変な環境の中で生きていた人もいることを、<br />すんなりと、消化することが出来ずにいました。<br /><br />マサダの訪問を終えてホテルに着くと、<br />チェックインが行列になっていて、<br />ロビーから人が溢れて大変な混雑になっていました。<br /><br />あちこちで、<br />色んな国の子供たちが、<br />退屈したり、お腹を空かせて、<br />泣いたり、暴れたり&hellip;。<br /><br />「これは自分の出番だ！」<br /><br />私は、なぜかそう思って、<br />日本から持ってきたピエロの衣装で、<br />子供たちにマジックとペンシルバルーンを<br />披露することにしました。<br /><br />言葉が分からないので<br />身振り手振りでおどけてみせながら、<br />満面の笑顔で頑張ります。<br /><br />すると肌の色も言葉も違う子供たちが<br />後から、後からどんどんやってきて、<br />黒山の人だかりになってしまいました。<br /><br />てんやわんやの忙しさだったのですが、<br />バルーンを手にした子供たちは、<br />みんなが笑顔になってくれるのです。<br /><br />私は、またもや、<br />涙が止まらなくなりました。<br /><br />そして、<br />ふと、日本から一緒に来た仲間達を見ると、<br />彼らも、なぜか涙を流しているのです。<br /><br />さらには、さっきまでイラついていた<br />世界各国の親御さんたちも泣いていました。<br /><br />つい３・４時間ほど前までは、<br />マサダの砦で９６０人が亡くなった話を聞いて、<br />ただ、ただ涙を流すばかりの私でした。<br /><br />しかし、今度は違います。<br /><br />「自分がアホをやって<br />子供たちを喜ばせることで、<br />言葉が分からなくても、<br />どんなに違う人生を生きてきても、<br />今日はみんなが一つになれた。<br /><br />私は、きっと色んな人が心を一つにする<br />お手伝いをするために生まれてきたんだ。<br /><br />それに、気づくために、<br />イスラエルに来たんだ。<br /><br />一日も早く、世界中の全ての人に<br />平和が来て欲しい<br /><br />私はアホで世界平和に貢献していきたい」<br /><br />そんな事を思いながら、<br />残りの旅を楽しみ、<br />日本に帰ってきました。<br /><br />赤塚さん、<br />ガイドの榊原さん、<br />一緒に旅したみんな、<br />本当に、ありがとうございました。<br /><br />大将はこれから、<br />更なるアホを目指します！<br /><br /><a href="15880" target="_self">＜次回は「もう、二度と死のうなんて思わない」です＞</a><br /></pre>]]></description>
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        <dc:date>2009-10-25T11:31:00+09:00</dc:date>
        <title>アホの第４ラウンド「祖母が作ってくれたカレーの美味しさに涙が出た」</title>
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        <description><![CDATA[□□５１歳で見つけた人生初めての夢□□□□<br /><br /> アホのチャンピオンベルト第４ラウンド<br /> みのりの大将が歩んだ<br /> 「涙のアホベルトへの道のり」<br /><br /> 祖母が作ってくれたカレーの美味しさに涙が出た<br /><br />□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□<br /><br />＜前回までのあらすじ＞<br /><br />私は新冠の漁師の家で祖父と祖母に育てられましたが、<br />友達もおらず、いじめられっこで、<br />「ミッチーガソリン」といわれるほど、<br />泣いてばかりの幼少期を過ごしました。<br /><br />祖父が酒飲みで仕事をしなかったことから、<br />食べることすらままならない程家は貧しく、<br />酔っ払っては暴れてばかりいたので、<br />近所の人達からも嫌われていました。<br /><br />「自分が赤ん坊の時に母に捨てられた(;д;)」<br /><br />という事実を知ったのは、<br />中学１年生の時に祖父が死んだことがきっかけです。<br /><br />稼ぎ頭を失ったことから、<br />私もすぐに叔父と漁に出ることになりましたが、<br />船酔いに苦しむ上、毎日、叔父からは<br />ボコボコに殴られていました。<br /><br />捨て子という事実に打ちのめされていた私は、<br />夜ごと果物包丁を胸に突き立てて自殺を試みるなど、<br />生きていても仕方が無いという気持ちで<br />日々を過ごしていました。<br /><br />そんなある日のこと、<br />ふとしたことから赤と緑の光に輝く<br />ＵＦＯに遭遇したのです。<br /><br />何のメッセージを伝えにきたのだろうと考えるうちに<br />「死ぬのはいつでもできる。生きていれば良いことがあるかも」と、<br />私は自分の人生に初めて希望を持つ事ができたのでした。<br /><br />＜ここからが今回の内容です＞<br /><br />ＵＦＯを見た瞬間のことは、<br />私の脳裏に焼きついていて、<br />しばらくは一瞬も頭から離れませんでした。<br /><br />そして、次の日も、次の日も<br />「今日もＵＦＯに会えるかな？」と、<br />期待して漁に出るようになったのです。<br /><br /><br />「あれは何だったんだろう？<br />また、何かのメッセージを届けに来てくれるのかな？」<br /><br />と思うと、辛かった毎日が、<br />なぜだか楽しくなってきました。<br /><br />船酔いもせず、体も軽くなり、<br />「学校も行けなくてもいいんだ」<br />と思うようになりました。<br /><br />更に不思議なことに、<br />漁に出ていると<br /><br />「これから（どんな種類の）魚がここを通る。<br />今だ、網を入れろ！」という、海の神様からの<br />メッセージのようなものを肌で感じるようになったのです。<br /><br />そこで、船長だった叔父の指示ではなく、<br />自分のタイミングで網を海に入れるようにしました。<br /><br />叔父から「トモオヨーイ」（投網用意)と言われても、<br />「はい」と返事だけして、じっと息を殺して<br />タイミングを待つようになりました。<br /><br />海の底がクッキリと見えるような気がするので、<br />「ここだ！」と思った所に網を入れて、<br />３日・４日後の夜に引き上げに行くのです。<br /><br />暗闇の海の上で、<br />海面にライトをあてながら<br />機械のドラムで網を巻き上げていくと、<br />魚のウロコに光が反射して、<br />海面が真っ白に浮かび上がってきます。<br /><br />「キター！v(≧&nabla;≦)v」<br /><br />それを見るたび、<br />宝くじ当たったみたいな気がしました。<br />山盛りの魚が網に入っているのです。<br /><br />実際、以前の４・５倍の魚が、<br />毎回、面白いように獲れました。<br /><br /><br />その頃から、<br />一気に叔父は裕福になり、<br />生活も変わりました。<br /><br />一方の私は、<br />ずっと月給３０００円でしたが、<br />ご飯がお腹一杯食べられることが<br />嬉しくてしょうがなかったです。<br /><br />カニが沢山獲れた時、<br />祖母がカニの身をたっぷり入れた<br />カレーを作ってくれたのですが、<br />美味しくて涙が出たのを覚えています。<br /><br /><br />叔父の船ばかりが魚が獲れるようになると、<br />地元の漁協組合の雰囲気がガラリと変わりました。<br /><br />皆が、叔父の行動に注目し、<br />同じ場所に網を入れようとしたのです。<br /><br />ところが、叔父は、<br />自分さえ良ければいいという人でしたので、<br />漁協仲間に対して「あそこは獲れる」と、<br />嘘の情報を流すようになりました。<br /><br />無線で嘘の情報を仲間にいっているのを聞くたび、<br />悲しくて、私は涙が出てきました。ヽ(TдT)<br /><br />叔父は一気に信頼を失い、<br />村八分の状態になりました。<br /><br />以前とは違った意味で肩身が狭く、<br />「みんなを騙して自分たちだけが得をしている」と思うと、<br />ご飯が喉を通らなくなりました。<br /><br />あと、叔父は、裕福になっても<br />酒を飲んでは奥さんに絡んで喧嘩をしていました。<br /><br />ある時は、赤々とコークスが燃えている煙突ストーブに<br />奥さんを投げ飛ばして大やけどを負わせたり、<br />散々な暴れようでした。<br /><br />そんな毎日を過ごしながら、<br />私は１９歳になろうとしていました。<br />身体は大きくなっていましたが、<br />いつも怖くて小さくなっていました。<br /><br />一度だけ、叔父に<br />「小遣いをあげてくれ」といったことがありましたが、<br />「飯を食わしているだろう！」と、<br />殴られて終わりでした。<br /><br />メソメソはしませんでしたが、<br />どうせ勝てないと思っていたので、<br />ただ、身体を固くして叔父の気が済むのを待っていました。<br /><br />自殺願望は無くなりましたが、<br />「はやく、ここを出て行きたい」と、<br />ひたすら願う毎日。<br /><br />そんなある日、<br />生まれて初めて、<br />村八分の私にも、<br />やさしく声をかけてくれる女性が、<br />目の前に現れたのですv(≧&nabla;≦)v  。<br /><br />＜つづく＞<br /><br />＝大将コメント＝<br /><br />嘘は良くないですよね。<br />当時の叔父の姿を思い出すと、<br />いまだに胸が苦しくなります。<br /><br />でも、嫌な事を乗り越えれば、<br />次は必ずいい事があるので、<br />人生は本当に不思議です。<br /><br />&lt;次回　<a href="12092">アホの特別編「イスラエルに行って更にアホな生き方を貫くことを決意しました」</a>&gt;<br /><br /><img src='http://goope.jp/goope/921/091025113412znpe_m.jpg' />]]></description>
    </item>
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        <dc:date>2009-10-15T08:26:00+09:00</dc:date>
        <title>伊藤ときよさんの動画</title>
        <link>http://ramen-minori.com/info/6488</link>
        <description><![CDATA[<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/H8wf3Y-XhYk&hl=ja&fs=1" /><param name="allowFullScreen" value="true" /><param name="allowscriptaccess" value="always" /><embed type="application/x-shockwave-flash" width="425" height="344" src="http://www.youtube.com/v/H8wf3Y-XhYk&hl=ja&fs=1" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>]]></description>
    </item>
    <item rdf:about="http://ramen-minori.com/info/5271">
        <dc:date>2009-09-28T20:54:00+09:00</dc:date>
        <title>「０９秋　生命の輝き発見セミナー　生き方見本市」 </title>
        <link>http://ramen-minori.com/info/5271</link>
        <description><![CDATA[こんな私でもこんな事が出来た。 <br /> <br />ちょっとした事がきっかけで・・・ <br /> <br /> <br />全国のみんなに沢山の勇気と感動を伝えに東京に行きます。 <br /> <br />１１月２２日絶対来てください。 <br /> <br />当日は、めっちゃ素晴らしいゲストの中にひとりポツンと浮いてる私がいます。思い切り伝えます。沢山人に聞いてもらいたいです。 <br /> <br />本当に凄いイベントです。 <br /> <br />２００７年の秋からサンマーク出版が始めた  <br />「生命（いのち）の輝き発見セミナー」。  <br /> <br />「第１回」遺伝子の研究者・村上和雄さん  <br /> 画家・大野勝彦さん  <br /> <br />「第２回」ミリオンセラー『鏡の法則』著者・野口嘉則さん  <br /> <br />「第３回」森のイスキア主宰・佐藤初女さん  <br /> 絵本『いのちのまつり』著者・草場一壽さん  <br /> <br />そして「第４回」。  <br />今年はちょっとバージョンアップして開催いたします。  <br /> <br /><span style="font-size: medium;"><span style="color: #ff0000;"><span class="large">「０９秋　生命の輝き発見セミナー　生き方見本市」 </span></span></span> <br /> <br /> <br />インターネット革命が起きて十数年あまり。  <br />私たちを取り巻くコミュニケーションの環境は  <br />想像以上に大きく変わりました。  <br /> <br />とくに「時間」と「空間」の感覚的変化には  <br />目を見張るものがあります。  <br /> <br />でも&hellip;&hellip;でもですね。やっぱり生身の人間は、人対人。  <br /> <br />「人みな師」  <br /> <br />という言葉があるように、  <br />人から学ぶことはネットの比じゃないように思えます。  <br /> <br />「生き方見本市」は堂々の７時間、人間力むき出しのライブ！  <br /> <br />【テーマ】  <br />「生命の誕生から死まで、いのちは、  <br /> 始まりなき始まりから終わりなき終わりへと続いていく」  <br /> <br />登場人物は以下の８人。  <br /> <br /> <br />■「一歩を超える勇気」（基調講演）  <br /> ソロアルピニスト・栗城史多さん  <br /> （エベレストから帰国後、初の大講演会）  <br /> <br />■産婦人科医・山縣威日さん  <br /> （生まれ来る生命の神秘とは？）  <br /> <br />■てっぺん代表・大嶋啓介さん  <br /> （格好悪い挫折と失敗を語る）  <br /> <br />■みのりの大将・石崎道裕さん  <br /> （自分の殻の破り方を知る）  <br /> <br />■フルールさわ・田島和子さん  <br /> （植物との対話から学んだこと）  <br /> <br />■「１／４の奇跡」監督・入江富美子さん  <br /> （40歳から世界となつがる方法）  <br /> <br />■在宅医療専門医・川島孝一郎さん  <br /> （人間の看取りから見えてくるもの）  <br /> <br /> <br />そして全体をコーディネイトするのは、  <br />我らが「現代の語り部」中村文昭さん！  <br /> <br /> <br />○開催日程　2009年11月22日（いい夫婦の日）  <br /> （開場）11：30　（開演）12：30  <br />【第1部】12：45～14：00  <br />【第2部】14：30～19：30（予定）  <br /> <br />○会場  <br />東京国際フォーラム　Ｂ７  <br />○参加費  <br />一般の方 5000円  <br />ご夫婦　２枚１組 8000円  <br />学生 3000円  <br />※ 未就学児は無料です。  <br /> <br />お申し込みは、こちらまで。  <br />☆「生命の輝き発見セミナー　生き方見本市」  <br /><a href="http://www.sunmark.co.jp/seminar/mihonichi/" target="_blank">http://www.sunmark.co.jp/seminar/mihonichi/</a> <br /> ※出演者の動画メッセージもご覧になれます。<br /><img src='http://goope.jp/goope/921/090928205457s2ug_m.jpg' />]]></description>
    </item>
    <item rdf:about="http://ramen-minori.com/info/5274">
        <dc:date>2009-09-28T20:54:00+09:00</dc:date>
        <title>アホの第３ラウンド「自殺を試みるも赤と緑のＵＦＯに救われる」</title>
        <link>http://ramen-minori.com/info/5274</link>
        <description><![CDATA[アホのチャンピオンベルト第３ラウンド<br /><br />＜自殺を試みるも赤と緑のＵＦＯに救われる＞<br /><br />□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□<br /><br />＜前回までのあらすじ＞<br /><br />私は新冠の小さな漁村で幼少期を過ごしたのですが、<br />いつも近所の子供たちからいじめられていました。<br /><br />家の中では父親が暇さえあれば酒を飲んで暴れており、<br />近所の人たちからは村八分状態で、<br /><br />いつもひたすら泣いてばかりの少年時代を過ごしていました。<br /><br />そんな私が中学に入ったある日の事、<br />父親が突然亡くなってしまったのです。<br /><br />お通夜には、近所の人も、<br />同級生も誰一人焼香に現れませんでしたが、<br />親戚に混じって見知らぬ女性が会場の隅に座っていました。<br /><br />なぜか、気になって「あれは誰なの？」と母に聞いてみると、<br />「お前の本当の母親だよ。お前は捨てられたんだ」と、<br />私は、突然、衝撃の事実を告げられたのでした。<br /><br />死んだと思っていた父は、<br />実は私の祖父だったのです。<br /><br />そして、母親だと思っていたのは、<br />私の祖母だったのでした。<br /><br />私はいても立ってもいられなくなり、<br />その女性に「なぜ、自分を捨てたのか？」を聞こうとしたのですが、<br />既にその場から姿は無くなっていたのでした&hellip;。<br /><br />＜ここからが、今回の内容です＞<br /><br />祖父が死んでから、<br />私は、実の母に育ててもらえなかった寂しさや、<br />自分を捨てた理由を直接話してもらえなかったことへの疑問で、<br />毎日、悲しくて、苦しくて、またもや朝から晩まで<br />一人泣いて過ごしていました。<br /><br />（それまでは母だと思っていた）祖母から言われた<br />「本当の母親はお前を育てるのを放棄したんだ」<br />という言葉が耳に焼きついて一瞬も離れることはありませんでした。<br /><br /><br />父の死から１週間の喪が明けた日の深夜、<br />初めてランチジャーのお弁当が<br />私のために用意されました。<br /><br />それを見て<br />「ああ、これは船に乗れということなんだ」<br />と直感で分かりました。<br /><br />漁は深夜から早朝にかけて行われます。<br /><br />祖父のいない現在、私も、<br />働かなければならなくなったのです。<br /><br />こうして、私は中学１年生にして船乗りになり、<br />漁師生活が始まりました。<br /><br />しかし、船酔いがひどくてまったく仕事になりません。<br />役に立たないので、一緒に船にのっていた叔父からは<br />石や漁具で毎日ボコボコに殴られました。<br /><br />叔父は口下手で、<br />教え方が分からないので、<br />何かにつけて私を殴るのです。<br /><br />たとえば、単語で「アミタケ！」と言われます。<br /><br />これは、<br />「網を船に積んで漁の用意をしろ」<br />という意味なのですが、<br />言葉より先に殴られるので、<br />次第に、頭より先に<br />身体が反応するようになりました。<br /><br />いつしか、私はヘルメットを手放せなくなり、<br />船に乗っている間中、ブルブルと震えながら<br />仕事を覚えていきました。<br /><br />漁が終わるのは早朝で、<br />陸に上がっても、<br />めまいがして歩けません。<br /><br />学校に行っても起きていられないので、<br />益々孤立し、楽しみだったそろばんにも行けなくなりました。<br /><br /><br />その頃から、私は、枕の下に<br />包丁を入れて眠るようになりました。<br /><br />「チャンスがあったら死のう」と思って、<br />果物包丁を秘かに買ってきていたのです。<br /><br />「この包丁で心臓を一突きすれば一瞬で楽になれる」と、<br />暗闇の中、両手で包丁を逆さに持ったことが何度もありました。<br /><br />母に捨てられ、<br />育ててもらえなかったために、<br />中学１年にして漁師になり、<br />みんなが遊んでいる時に仕事をして、<br />学校にも行けず、友達もおらず、<br />ただ、死ぬことだけを考えていました。<br /><br />どうやったら楽に死ねるのだろうか&hellip;？<br /><br />次第に学校にも行かなくなり、<br />一人で近くの山に登ってパンをかじりながら<br />学校を見つめる時間が増えていきました。<br /><br />そうこうしているうちに、<br />ふと、本当の父親はどんな人だったんだろう？と<br />思うようになり、役所に行ったら、<br />やはり養子でした。<br /><br />今になってみると思い出すのは怖いのですが、<br />戸籍を見せられて自分の本姓が「浦田」という<br />名前であることが分かりました。<br /><br />「石崎」ではなく<br />「浦田」というのが<br />本当の名前だったのです。<br /><br />私は、「浦田」という、<br />行方の知れない親の姓を示す２文字を<br />腹立たしい思いで見つめていました。<br /><br />そして、次の瞬間、運動会や学芸会に<br />両親（だと思っていた祖父と祖母）が来なかったのは、<br />捨て子の親であることが恥ずかしかったんだと、<br />色んな記憶が、走馬灯のように<br />バチーン！とつながったのでした。<br /><br />捨てられた自分に張り付いている<br />「浦田」という馴染みのない名前。<br /><br />船酔い、殴られ、貧しく、村八分、友達もおらず、<br />全部、捨てられたせいだと思いました。<br /><br />「なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだ？！」  <br /><br />でも、誰にも相談できずにいました。<br /><br />心臓を一突きすれば何もかもが全部終わる&hellip;。<br /><br />私は、益々、暗い少年になっていきました。<br /><br />すると、それまでは余り話すことも無かった近所の人たちが、<br />私の姿が異様だったのか、慰めに来てくれるようになりました。<br /><br />「お前は、おばちゃんが生後２ヶ月で引き取って<br />色んな工面をして育てたんだよ」<br /> <br />「じいちゃんも丹前の中に入れたり、<br />おばあちゃんもどこに行くのでも<br />優しく守ってくれていたんだよ。<br />だから、そんなに落ち込むんじゃない&hellip;」<br /><br />しかし、その慰めは言われれば、言われる程、<br />逆に心は苦しくなりました。<br /><br />母がいないという現実が余計大きくなり、<br />嫌が応にも自分に向き合わなくてはならなかったのです。<br /><br />そして、何度も、包丁を逆手に持ったのですが、<br />結局は、死に切れませんでした。<br /><br />&nbsp;<br />希望も夢も無い、<br />絶望の毎日。<br /><br />死ぬ勇気もない自分。<br /><br />毎日を、無気力状態で過ごしていました。<br /><br />家では、叔父が酒を飲んで愚痴ったり、奥さんと<br />喧嘩をしたりしていました。叔父は、外で喧嘩があると、<br />短刀を持って出かけることもありました。<br /><br /><br />それから、何日か後、天気が急変して海が時化（しけ）、<br />私は波に飲まれて船から落ちてしまいました。<br /><br />その時、私は「かっぽれ」という、<br />魚のぬるぬるを取るための海水を汲むバケツを持って、<br />フラフラと甲板を歩いていたのです。<br /><br />ドーン！と暗闇の海に落ちた瞬間、<br />スーッと波にさえぎられて船が見えなくなり、<br />私は暗闇に吸い込まれていきました。<br /><br />荒れる海に溺れそうになりながら<br /><br />「来るべき時が来た。<br />&nbsp;このまま自分は天国に行くんだな」<br /><br />と思いました。<br /><br />すると、ロープが飛んできて<br />バーン！と私の顔をひっぱたいたのです。<br /><br />たまたま、船長が私が海におちるのを<br />見ていてくれたのでした。<br /><br />そして、私は無意識のうちにロープをつかんで、<br />ひっぱりあげられたのです。<br /><br />あんなに死のうと思っていたのに、<br />生きようとして手を伸ばしたことが<br />自分でも信じられませんでした。<br /><br />ロープに手を伸ばさなかったら<br />死んでいたはずなのに、<br /><br />なぜ、この苦しみが続くのに<br />生きようとしたんだろう&hellip;？<br /><br /><br />そんな事が、まだ、自分の中で消化できていなかった、<br />ある静かな夜、不思議な出来事に出会いました。<br /><br /><br />その時、私は甲板に出て星空を眺めていました。<br />これから漁場に向う船は、<br />おだやかに波の上を滑っています。<br /><br />星を見ながら「何て綺麗なんだろう」と<br />私は我を忘れてしまっていました。<br /><br />海で見る星空は、<br />街の明かりがないので<br />とっても綺麗に見えるのです。<br /><br />その時、突然、緑と赤の光が目に入ってきました。<br /><br />そして、何かを物語るかのように、<br />ピュッピュと飛んだのです。<br /><br />「何だ？」<br /><br />私は、びっくりして訳が分かりませんでした。<br /><br />それでも、しばらくピュッピュッと赤と緑の光が<br />動いているのを見て「これはUFOだ！」と思ったのです。<br /><br />「間違いない！<br />&nbsp;絶対に存在しないと思っていたのに、<br />&nbsp;ああ！本当にいるんだ！<br />&nbsp;俺を迎えにきたのかな？<br />&nbsp;さらわれるのかな？」<br /><br />UFOを見ながら、<br />私は、何だか楽しい気持ちがしてきました。<br /><br />陸に戻っても、<br />そのUFOの事が<br />私の頭から離れませんでした。<br /><br />何かのメッセージを自分に伝えにきたんだと思いました。<br /><br />そして、<br /><br />「死ぬのはいつでも出来る。<br /> 生きていたら、なんか、<br /> いいことあるんじゃないか」<br /><br />と思ったのです。＜つづく＞<br /><br /><a title="祖母が作ってくれたカレーの美味しさに涙が出た" href="http://ramen-minori.com/info/7330" target="_self">次回は祖母のつくってくれたカレーの美味しさに涙が出ました</a><br /><br /><img src='http://goope.jp/goope/921/090928205959vud7_m.jpg' />]]></description>
    </item>
    <item rdf:about="http://ramen-minori.com/info/4235">
        <dc:date>2009-09-09T01:21:00+09:00</dc:date>
        <title>アホの第２ラウンド「見知らぬ女性があらわれて出生の秘密を知らされる」</title>
        <link>http://ramen-minori.com/info/4235</link>
        <description><![CDATA[<hr /><p><span style="font-size: small;"><strong>＜見知らぬ女性があらわれて出生の秘密を知らされる＞</strong></span><br /> <br /> 小学校に入っても、私の家は相変わらず貧しく、<br /> 白いごはんは食べられませんでした。<br /> <br /> いつも、芋とかとうきびばかり食べていました。<br /> <br /> お腹がすくと、よく飯場に残り物をもらいに行きました。<br /> 食べ物を恵んでもらうのは、当時、当たり前の事だと思っていました。<br /> 飯場のおばさんは、いつも何も聞かずに食べ物を与えてくれました。<br /><br /> 私の家庭は沿岸漁業で、たこ、かに、かれい等を漁るのですが、<br /> ぜんぜん漁れませんでした。ちなみに、さんまは遠洋漁業ですし、<br /> ホッケは深海の魚なのでうちの船では漁ることができませんでした。<br /> <br /> 私はどんなに思い出しても、父がまともに船に乗っているのを見た記憶が<br /> ありません。父は、毎日朝から晩までお酒を飲んでいました。<br /> <br /> そして、お酒がなくなると機嫌が悪くなって<br /> 私に命令して酒を買いにいかせるのです。<br /> <br /> お酒を買うお金がないので、母が、その都度、<br /> 泣く泣く自分の物を売って工面していました。<br /> <br /> それでも、４号瓶（７２０ml）に満タン買えたことはなかったと思います。<br /> <br /> たんすはいつも空っぽで、<br /> 父がチャブ台をひっくり返すことも家ではあたり前の出来事でした。<br /> <br /> 酒を飲んで母を殴ったりするのが嫌で「酒を辞めてくれ」と何度も父に<br /> 頼んだことを覚えています。<br /> <br /> 目の前で母が殴られるのは本当に悲しかったです。<br /> 「何で父は分かってくれないんだろう」と思っていました。<br /> <br /> ある時、喧嘩がいやで、<br /> 焼酎を捨てて水を入れて帰ったことがあります。<br /><br /> すぐにバレて、その瓶で思いっきり殴られました。<br /> そして、麻袋に入れられて玄関先に一晩中吊るされました。<br /> <br /> 泣いても、泣いても家に入れてもらえなくて、<br /> 石崎の家にはいたくないと思いました。<br /> <br /> ただ、ただ、この家にはいたくないと思ったのです。<br /> <br /> 中学に入っても家は貧しく、友達も出来ず、<br /> 親父は酒ばかり飲んでいました。<br /> <br /> ある時、音楽室で同級生とふざけてチョークを投げていたら<br /> 学校の太鼓が破れてしまいました。<br /> <br /> 学校から修理代を請求されたのですが、<br /> 父は「学校で起こったことは学校の責任だ」と<br /> 激怒して授業中に怒鳴り込んできたのです。<br /> <br /> あの時は一番怖かったです。<br /> 魚を漁る網を担いで、訳の分からないことを喚きながらやってくるのが<br /> 遠くからでも分りました。<br /> <br /> 学校に入ってくると<br /> 同級生にも構わず喚いたりしました。<br /> <br /> 他にも、グローブを持って野球をしているという理由で<br /> 怒鳴り込んで来たこともありました。<br /> <br /> 授業中にクラスの同級生が「誰か来た」といって、<br /> ザワつく度に「また親父かな」と思いました。<br /> <br /> 友達にも申し訳なかったですし、<br /> 恥ずかしかったし、悲しかったです。<br /> <br /> もう、父とは一緒にいられないと思いました。<br /><br /> <br /> 母も可愛そうでしたが、<br /> 中学生の自分には何も出来ないと思っていました。<br /> よく、父と一緒にいられるなと思いました。<br /> <br /> 今から考えると、母も私も、<br /> よくあの状況を乗り越えられたと思います。<br /> <br /> そんな父でしたが、中学入学と同時にそろばん教室だけは通うのを<br /> 許してくれました。父が何かを許してくれたのは、それが最初で最後で、<br /> とにかく嬉しかったです。<br /> <br /> そんなある朝のこと「父が倒れた」といって、<br /> 私は朝の５時半に母に起こされました。<br /> <br /> 布団に横になっている父に向かって、<br /> 夢中で「親父、親父！」と呼んでみたものの返事がありません。<br /> <br /> その日は１１月１３日で、死因は脳梗塞でした。<br /> <br /> 通夜、葬儀と担任の先生や同級生は誰も顔を見せませんでした。<br /> あらためて、石崎の家が嫌われ者なんだということを思い知りました。<br /> <br /> 私の家は村八分の状態だったのです。<br /> <br /> 父が死んだことで<br /> 「この後どうなるんだろう、<br /> 何がどう変化するのだろう？」<br /> と、思いました。<br /> <br /> 「学校に行けなくなるかもしれない、<br /> 自分が跡を継がなければいけないのだろうか？」<br /> という予感が私の気持ちを重くしました。<br /> <br /> 葬儀の時には、<br /> 見たことのない女性が一人座っていました。<br /> <br /> なぜか気になって「あれは誰？」と、<br /> 親戚に聞いて回ったのですが誰も教えてくれません。<br /> <br /> それでも、諦めずに食い下がっていると<br /> 「あれは、お前の生みの親だ。お前は捨て子なんだ。<br /> お前の本当の母親は育てるのを放棄したんだよ」<br /> と教えてくれました。<br /> <br /> 死んだ父だと思っていた人は、<br /> 実は、私の祖父だったのです。<br /><br /> それを聞いて「なぜ、母は私を育てられなかったんだ？」と思いました。<br /> <br /> そして、その瞬間、なぜ両親の年があんなに離れていたのか、<br /> 学校の参観日に来てもらえなかったのか、<br /> 地元の人達との折り合いが悪く嫌われ者なのかが、<br /> 一本の線でつながったのです。<br /> <br /> 私はいてもたってもいられず<br /> 「どうして、私を捨てたのか？」を、<br /> 本人の口から聞こうと思いましたが、<br /> 気づいた時にはその女性の姿は無くなっていました。<br /> <br /> まさか、すぐにその女性がいなくなるとは<br /> 思いもよりませんでした。<br /> <br /> <a href="http://r.goope.jp/taisyo/info/5274" target="_self">＜次回は～自殺を試みるも赤と緑のＵＦＯに救われる＞</a><br /> <br /> 「次回、自殺を試みるも赤と緑のＵＦＯに救われる」<br /> <br /> －大将のコメント－<br /> <br /> チン毛の生え出す中学１年生とはいえ、<br /> まだまだガキです。<br /> <br /> 突然の「お前は捨て子なんだ」という言葉と、<br /> 船に乗るために中学に行けなくなるというのでお先真っ暗でした。<br /> <br /> 我ながら、笑顔でよくこんな話ができるなと思います。<br /> <br /> でも、今、自分の心に偽りのない希望があれば、<br /> どんなに辛かった経験も、自分の自信になりますし、<br /> 人を励ます肥やしにもなるんだと思います。<br /> <br /> せっかくの人生ですから、<br /> 夢を大切にしたいものですね。</p><p>&nbsp;</p><p>//////////////////////////////////////////////</p>メルマガ読者さまからのコメント１<br /> <br /> みのりの大将様<br /> <br /> メルマガいつもありがとうございます！！<br /> 大変興味深く読ませていただいています。<br /> <br /> 大将って凄い人生を歩んできているんですね！<br /> 毎回カンドー（Ｔ．Ｔ）しながら読ませていただいております<br /> 早くも次を期待してしまっております・・・（＞。＜）<br /> <br /> ＊＊＊<br /> ありがとうございます。<br /> 頑張ります！<br /> 大将<br /> <br />//////////////////////////////////////////////<br />メルマガ読者さまからのコメント２<br /> 石崎さま<br /> <br /> メルマガありがとうございます。<br /> 一度すれ違うように○○先生の講演会で名刺交換しただけでしたのに<br /> この用にまたメールで繋がることができてとてもうれしいです。<br /> <br /> メルマガを拝見しながらさまざまなことを考えました。<br /> うちの家族もいつも暴力ばかりでした。<br /> そのせいにしても何も始まらないとわかっていつつも、<br /> 人の中に上手に溶け込めない自分に日々苛立ちを覚えておりました。<br /> <br /> 今現在精神科の看護師としてアルコール依存症の看護に携わっております。<br /> 石崎さまのメルマガを拝見しながら日々の業務と自分自身について改めて考えました。<br /> 親の飲酒問題と暴力の境遇で育った方たちが<br /> 世代連鎖してアルコール依存症になっていく姿を目の当たりにします。<br /> 時にスタッフへの暴力・暴言もありますが、それらは本人ですらどうすることもできな<br /> い病気の症状であると最近ようやく理解することができるようになりました。<br /> <br /> それでもやはり自分の子供時代と重ね、その患者さまの家族、子供をみていると苦しく<br /> なります。<br /> <br /> 患者さまの看護に携わりながら、日々自分も己の行き方と向き合うことになります。<br /> 正直、時々しんどいです。<br /> <br /> ですが石崎さまのメルマガを拝見しながら、<br /> 人はそれでも生きていけるのだという勇気をいただきました。<br /> 本当にありがとうございます。<br /> <br /> もう少し、ここでがんばってみようかなと思えました。<br /> <br /> そしてちょっぴり「アホ」になろうと思いました。<br /> <br /> あたたかなユーモアをありがとうございます。<br /> <br /> これからもますますお元気で、ますます多くの方においしいラーメンと<br /> 笑いを分けてくださいね。<br /> <br /> いつかお店のほうに伺いたいと思います。<br /> お会いできる日を楽しみにしております。<br /> <br /> ありがとうございました。<br /> ＊＊＊<br /> メッセージありがとうございます。<br /> ぜひ、ゆっくりお話したいですね。<br /> お待ちしております。<br /> <br /> 大将<br /><br />////////////////////////////////////////////////<br />メルマガ読者さまからのコメント３<br /> <br /> こんばんは。<br /> <br /> せつなくも深いお話　ありがとうございます。<br /> <br /> 人生、ドラマティックですね。波乱万丈ですが、<br /> すべては　今につながっているのかも。 <br /> <br /> 続き　また　よろしくお願いいたします！！<br /> <br /> ＊＊＊<br /> ありがとうございます。<br /> 今、希望が持てるのなら、<br /> これまでの事は全部勉強です。<br /> 笑って語って一歩前進でしょうか。<br /> 大将<br /> <br />//////////////////////////////////////////////////<br />メルマガ読者さまからのコメント４<br /> <br /> メルマガの方大変楽しく拝見させて頂きました。<br /> 少年の育つ環境があまりに劣悪で、<br /> 展開が昼ドラなところが癖になってきました。<br /> <br /> お忙しいとは存じますが、<br /> 小さなエンターテイメントありがとうございます。<br /> <br /> ＊＊＊<br /> ありがとうございます。<br /> まだまだ、行きますよ。<br /> 大将<br /> <br />////////////////////////////////////<br />メルマガ読者さまからのコメント5<br /><br /> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">大将（石崎さま）へ</span></div> <br /> <div>ご無沙汰致して居ります。<br /> 今回もどんな展開のお話になって行くのか期待でいっぱいでした。<br /> 本当におしんにひけ劣らず、私の子供時代にも決してひけ<br /> 劣らずで感銘して居ります。<br /> <br /> 同じ時代を生きてきた同志として、<br /> これからも心の中でエールを送り続けたいと思います。<br /> 近々お店に行きます、あのスープの味が舌にこび<br /> りつき禁断症状が現れ始めました。<br /> 宜しくお願い致します。</div><div><br /> <br /> ＊＊＊<br /> 将来は、ぜひ、ドラマ化したいと思っています。<br /> ラーメンもっともっと美味しくなるように頑張ります。<br /> 大将<br /> <br /> <a href="http://r.goope.jp/taisyo/info/5274" target="_self">＜次回は～自殺を試みるも赤と緑のＵＦＯに救われる＞</a></div><br /><img src='http://goope.jp/goope/921/090909012509cece_m.gif' />]]></description>
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    <item rdf:about="http://ramen-minori.com/info/3747">
        <dc:date>2009-08-30T23:00:00+09:00</dc:date>
        <title>大・大感動祭り 9月２１日（月・祝）</title>
        <link>http://ramen-minori.com/info/3747</link>
        <description><![CDATA[＜開催報告＞<br /><br />大・大感動祭２００９　「～命はやわじゃない～」　 <br /> <br /> 無事終了いたしました。 <br /> <br />シルバーウィークデーの中日にもかかわらず沢山の方々にお集まりいただき心より感謝申し上げます。また、当初予定したゲストが急遽出演できなくなったり、他数々の大チャンスに恵まれました。 <br /> <br />今回のイベントを告知、宣伝していただきました、てっぺんの大嶋社長様のメルマガはじめ全国の皆様に厚くお礼申し上げます。 <br /> <br />また、スタッフを快く引き受けてくれた、皆様の温かいご協力ご支援のおかげで無事に終了することが出来ました。ここに深くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。 <br /> <br />しょっぱなから今回のイベントの火付け役の山崎様ご家族のご主人のサプライズはいきなりきましたねぇー <br /> <br />お父様ありがとうございます。 <br /> <br /> <br /> <br />そして、鎌田守さん、憩(かい)君大きくなりましたね。そして故、茜ちゃんのご両親のご出席には本当に感謝しております。ありがとう。 <br /> <br /> <br />３日前にバイクで故茜ちゃんの実家にお線香をあげに行って、茜ちゃんが当時使用していた愛用のヘルメットをもらっと喜んで当日参加してくれた○○さんご夫妻。ご参加ありがとうございます。 <br /> <br /> <br />富山から駆け付けてくれた○○さんありがとうございます。 <br />大阪から来てくれたタテありがとう。 <br />静岡から突然のサプライズのカラーディアの○○○さんありがとう <br />仕事を休んでまで来てくれた名古屋のソビーありがとう <br />訳が分からず来てしまったと言っていたイタリアンレストランの女将さんありがとう。 <br />函館から来てくれたこ～ちょ～先生ありがとう <br />年商三五億の三五工務店の社長様ご家族の皆様と従業員の皆様ありがとうございます。 <br /> <br />本当に沢山沢山の方々に感謝いっぱいです。 <br /> <br />今回の二部の仮装の企画に賛同してくれたみなさん感謝します。 <br />また、今日のこの日の為に新しい衣装を購入した。仲間の皆さんありがとう。似合っていましたよー・・・ <br /> <br />こんなところで占めます。めっセンジャー北海道の仲間８人、 <br />１０月１０日行われる九州アホ会に潜入します。 <br /><br />＜開催報告ここまで＞<br /><br /><br />（大変重要なお知らせ）<br /><br />大・大感動祭り２００９　～命はやわじゃない～ <br /> <br />出演者の都合により、プログラム内容が大幅に変わっちゃいました。 <br /> <br />1部・2部出演予定のZAPPY SOULに異変が起きました。 <br /> <br />まさに大チャンスです。 <br /> <br />どちらも出れなくなってしまうという大チャンスが発生しました。 <br /> <br />そこで朗報です。ピンチをチャンスに変える男 <br /> <br /> <span style="color: #ff0000;"><span class="large">『みのりの大将』が一大奮起</span></span>して考えたこととは <br /> <br />まず、ZAPPY SOULのトーク＆ライブを楽しみにしていた皆さんには <br /> <br />本当に申し訳ありません。お許しください。 <br /> <br />すべて水に流して、仕切り直しをさせて頂きます。 <br /> <br />第1部　14：30 ～ 17：30　　　トーク＆ライブショー <br /> <br /> 杉浦 貴之氏と紺野 大輝氏の講演時間が長くとれました。 <br /> <br /> ということは、二人の話がじっくり聴けるといういい話だ。 <br /> <br /> こんなチャンスは二度とない。 <br /> <br /> さらに、紺野大輝氏は今年、ドリームプランプレゼンテーション <br /> <br /> に出場することが決定。 <br /> <br /> それをいち早く千歳で発表してくれる事が決まりました。 <br /> <br />第2部　18：00 ～ 20：30　ライブショー＆懇親会は <br /> <br /> 杉浦 貴之氏の単独生のライブとなります。 <br /> <br /> これは杉浦ファンにとっては、たまらないはず。 <br /> <br /> しびれる生のピアノ演奏と爆笑のエロトークが炸裂すること <br /> <br /> 間違いなしの状態です。 <br /> <br /> 食事付き懇親会は、めっセンジゃーの名にかけて <br /> <br /> 超いかれたゲストをお招きしております。 <br /> <br /> (凄すぎてここでの発表は控えさせて下さい) <br /> <br />※　めっセンジャーの参加者全員は仮装が参加条件となります。 <br /> 仮装はできないけどはだ○に自信がある方は、私の許可が必要です <br /> <br /> <br />いつもいい加減でちょっとアホからかなりアホに変身です。 <br /> <br />こんないい加減な男に惚れないように注意して下さい。 <br /> <br /> <br />本来であればチケットを購入された方一人ひとりにお詫びに <br /> <br />行かなくてなりません。 <br /> <br />また、今日まで私を信じご尽力してくれたスタッフの皆さんにも <br /> <br />謝らなければいけません。どうかお許しください。 <br /><br />（お報せここまで）<br /><br /><br />会場：Lian -リアン- chitose　（旧千歳平安閣）<br /> 北海道千歳市錦町4丁目　　TEL 0123+26+1163<br /><br />開場：　14：00～&nbsp;&nbsp;&nbsp; <br /><br />＜プログラム＞<br /><br />第1部　14：30 ～ 17：30　（定員350名）<br /> トーク＆ライブショー<br /> 杉浦 貴之 紺野 大輝 <span style="background-color: #808080;">ZAPPY SOUL</span>（出演中止）<br /><br />第2部　18：00 ～ 20：30　（限定120名）<br /> ライブショー＆懇親会<br /> 杉浦 貴之 <span style="background-color: #808080;">ZAPPY SOUL</span>（出演中止）<br /><br />&nbsp;&nbsp;&nbsp; <br />★　杉浦貴之　★<br />http://www.taka-messenger.com/　<br />1999年、28歳にして腎臓がん宣告。余命は「早くて半年、よくもって２年」。すでに９年が経過し、がんになる以前よりも、健康で幸せな人生を手に入れた。命のマガジン「メッセンジャー」変酋長兼編集長。<br /><br /><br />&nbsp;&nbsp;&nbsp; <br />★　笑顔配達人　紺野大輝　★<br />http://www.yumearu.com/konno-lecture.php<br />1976 年、北海道生まれ。脳性麻痺という病気を持って生まれ、「この子は一生歩けない」と医者から宣告を受ける。4年間の入院生活の末、奇跡的に歩けるようにな り、小学校から普通学級で生活を送る。法政大学卒業後、2000年より都内ホテルで勤務。ホテルのサービスに憧れ接客を希望して入社したが、「君は税金対 策で雇っただけ」とバック部門に配属になる。5年間の勤務後、同ホテルを退社。障害があろうとなかろうと、どんな環境で生活していようと、自分らしく生き ることができる。そのメッセージを伝えるため、「笑顔がいいね」を主宰。日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラーでもある。<br /> <object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/8PmzyUTSmf8&amp;hl=ja&amp;fs=1&amp;" /><param name="allowFullScreen" value="true" /><param name="allowscriptaccess" value="always" /><embed type="application/x-shockwave-flash" width="425" height="344" src="http://www.youtube.com/v/8PmzyUTSmf8&amp;hl=ja&amp;fs=1&amp;" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br /> <object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/AAdi6ht_Sdg&amp;hl=ja&amp;fs=1&amp;" /><param name="allowFullScreen" value="true" /><param name="allowscriptaccess" value="always" /><embed type="application/x-shockwave-flash" width="425" height="344" src="http://www.youtube.com/v/AAdi6ht_Sdg&amp;hl=ja&amp;fs=1&amp;" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br /> <object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/MvmnIspnA4s&amp;hl=ja&amp;fs=1&amp;" /><param name="allowFullScreen" value="true" /><param name="allowscriptaccess" value="always" /><embed type="application/x-shockwave-flash" width="425" height="344" src="http://www.youtube.com/v/MvmnIspnA4s&amp;hl=ja&amp;fs=1&amp;" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object> <br />ZAPPY　SOUL<br />&nbsp;&nbsp;&nbsp; <br /><span style="background-color: #888888;"><br /><br />★　ＺＡＰＰＹ　ＳＯＵＬ　★<span style="background-color: #ffffff;">（出演中止）</span><br />http://zappysoul.seesaa.net/<br />ＭｉｈｏとＡｋｉ、Ｂｉｇ　ｍａｍａの女性三人によるソウル、ヒップホップ系のコーラス・ユニット、ＺＡＰＰＹ　ＳＯＵＬは超の付くパワフルなハーモニーを聴かせる実力派<br />&nbsp;&nbsp;&nbsp; - &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; 入力項目ではありません &nbsp;&nbsp;&nbsp; </span><br /> <br /><br />＜参加費＞<br /><br />第1部　前売券 3,000縁　　当日券 3,500縁<br />(高校生以下1000円)<br />第2部　前売券 4,000縁　　当日券 5,000縁<br />(食事、ドリンク付き)<br />&nbsp;&nbsp;&nbsp; - &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; 入力項目ではありません &nbsp;&nbsp;&nbsp; <br />お振込先<br />&nbsp;&nbsp;&nbsp; <br /><br />＜お振込先＞<br /><br />①北洋銀行千歳中央支店（普）４０５９１５５　カ）ハイゲンキ<br />②ゆうちょ銀行　記号１９０７０　番号４４６０３１１１　カ）ハイゲンキ<br />&nbsp;&nbsp;&nbsp; - &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; 入力項目ではありません &nbsp;&nbsp;&nbsp; <br />お問合せ先<br />&nbsp;&nbsp;&nbsp; <br /><br />＜お問合せ＞<br /><br />めっセンジャー北海道<br />事務局　田口<br />携帯電話　090+8634+5775<br />E-Mail minori8000＠yahoo.co.jp<br />（迷惑メール対策の為＠を大字で書いてます。）<br />&nbsp;&nbsp;&nbsp; <br /><br />＜お申込み方法＞<br /><br />下記のリンクからフォームでお申込みの上、いずれかのお振込み先にご入金下さいませ。入金の確認が出来次第チケットを発送させて頂きます。全席ご自由です。チケット紛失の場合、入場できませんのでお忘れのないようにお願い致します。<br /><br /><a title="感動祭り" href="http://my.formman.com/form/pc/HPcnfbax3a42d3wv/" target="_blank">お申し込みフォームはこちらにございます。</a><br /><img src='http://goope.jp/goope/921/0908310312186wrq_m.jpg' />]]></description>
    </item>
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        <dc:date>2009-08-30T20:20:00+09:00</dc:date>
        <title>アホの第１ラウンド「ミッチーガソリンの孤独」</title>
        <link>http://ramen-minori.com/info/3744</link>
        <description><![CDATA[<p><span style="color: #ff9900;"><span style="font-size: small;"><strong>＜泣き通しだった少年時代～ミッチーガソリンの孤独＞</strong></span></span><br /> <br /> 私は新冠の小さな漁村で育ちました。年の離れた両親との三人暮らしでしたが、生活は貧しく、幼稚園はおろか毎日の食事にも事欠くような状態でした。そして、私には友達がいませんでした。<br /> <br /> その村の幼稚園は漁村の飯場にありました。子供心に、何度か親の目を盗んで幼稚園に遊びに行ったことがあります。その度に、酒に酔った父が怒鳴り込んで来て、私を引きずり出していくのでした。<br /> <br /> 同年代の子供たちは「石崎の親父がきた」というと、おどおどとして怖がりました。誰も私に近づこうとしませんでした。石崎の息子ということで、顔を合わす誰もが自分を歓迎してくれないことは子供心にもよく分かりました。<br /> <br /> それが、悲しい事なのか、怒るべき事なのかさえ分からず、ただただ一人で泣いていた事が多かったです。<br /> <br /> <br /> 小学校への入学式はおばあちゃんが来てくれました。両親は漁があるために来られないのです。それは分かるのですが、なぜか、同級生の中で両親が来ないのは私だけでした。<br /> <br /> 両親が参観日に来てくれたこともありませんでした。勉強が好きだったので、参観日には母に来てほしくて何回もお願いしたのを覚えています。忙しくて無理だと言われても子供なので自分を抑えられないのです。<br /> <br /> 私は自分の姓が「石崎」で出席番号が一番だったので、座席も右の一番手前です。漁があることが分かっていても、ガラガラっと教室の後ろの扉が開いて父兄が来るたびに、母が来たのでは？と、振り向いたのを覚えています。<br /> <br /> そして、小学校に入ってもやはり友達が出来ませんでした。いつも仲間はずれで、いじめられていました。とにかくすぐに泣く、泣き虫で、なぜか「ミッチーガソリン」と呼ばれていました。<br /> <br /> 今思えば、「ミッチー」というのは「みちひろ」という名前から来ていて、「ガソリン」は「火がついたように泣いて手がつけられない」という意味だと思うのですが、当時は自分がいじめられていることも分かっていませんでした。<br /> <br /> 同級生が持っているおもちゃは何ひとつ持っていなかったので、一人で浜に行き、ドラム缶の玉乗りをしていました。よく転んでは骨折をして、その度に病院に運び込まれていました。<br /> <br /> 小学３年生の時に盲腸になって入院したのですが、誰一人としてお見舞いには現れませんでした。同級生がみんなで担任の先生の家に遊びに行ったこともあったのですが、私だけが後で知りました。<br /> <br /> こんな事がある度に寂しいなと思いましたが、家がこんな状態だから仕方ないと諦めていました。<br /> <br /> たまに近所の上級生がビー玉とかパッチ（メンコ）の遊びに加えてくれることもありましたが、なぜか、やるたびに勝ってしまうので「勝ち逃げ」だと言っていじめられました。もちつもたれつ、時には相手を勝たすという発想もなく、世渡りも下手でした。<br /> <br /> 冬場になると、家の前に水を張った洗面器を置いておいて、毎朝、凍った部分を積み重ねてかまくらを少しずつ作るという楽しみがあるのですが、ある朝、粉々に砕かれていました。ただ、寂しかったし、悲しかったです。<br /> <br /> 学芸会で劇をやるときにはいつも悪役でした。花咲かじいさんの時も、こぶとりじいさんでも私は悪役でしたが、役がつくのが嬉しくて嬉々としていました。何で俺だけが？ということも考えたことはありませんでした。<br /> <br /> 当時、私を理解してくれたり、慰めてくれたり、庇ってくれる人は一人もいませんでした。いじめられて、仕返しをするという事は一度も考えたことがありませんでした。<br /> <br /> ＜つづく。次回、見知らぬ女性があらわれて出生の秘密を知らされる＞<br /> <br /> －大将のコメント－<br /> 我ながらキツイ少年時代でした。可愛くないガキだったかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>****************************************************</p><p>&nbsp;</p>メルマガ読者さまからのコメント１<br /> <br /> 大将<br /> <br /> ありがとうございました。<br /> 人生の日記、読ませていただきました。<br /> 映像が出てきました。少年石崎君の逞しさや心の変化が<br /> 私にも入ってきました。うーん、せつない。<br /> <br /> 私も過去を思い出しました。<br /> ・毎日どなり散らす父<br /> ・口を開けると勉強しろしか言わない父<br /> ・そんな父に愛想をつかし、自殺をしようとした母<br /> ・喘息になることが、父と母が仲良くなっている瞬間<br /> <br /> でも、今はこの全ての過去があって、今の自分がある意味が<br /> 分かります。分かってきました。<br /> どれも、私が育っていく上で必要なことだったんです。<br /> この世に生れてくる上で、私自身が決めてきたことだという<br /> ことも何となくわかり始めています。<br /> <br /> これからも楽しみに読ませていただきます。<br /> ありがとうございました。<br /><br /> ＊＊＊<br /> ありがとうございます。<br /> おっしゃるとおりだと、私も思います。<br /> 大将<br /> <br />**************************<br />メルマガ読者さまからのコメント２<br /><br /> 幼少期の大将のお話を聞いて、感動いたしました。<br /> 何か自分のことを思い出しながら、読んでいました。<br /> <br /> 私は、両親が一時不仲で、母なしの２年間があり、悲しい思いをし、<br /> けんかばかりしていて、嫌われていたのを思い出しました。<br /> （友人の親に○○君とは遊ぶな・・・言われておりました）<br /> <br /> 次回を楽しみにしております。<br /><br /> ＊＊＊<br /> 私と似た感じですね。<br /> これからも、よろしくお願い申し上げます。<br /> 大将<br /><br /><br />**************************<br />メルマガ読者さまからのコメント３<br /><br /> 誰からのメールかとびっくりしました。お久しぶりです。<br /> 夢と勇気と笑いをお届け頂きありがとうございます。<br /> 今年の初めに職場が代わり、泥沼状態の中にあり、最近少し滅入っている<br /> ところですので、まるで私の心の中が見えているのかと思うほどのタイミングに<br /> 届き驚いてます。<br /> <br /> 少年期の話は他人の話を書いたのではないかと思えるような内容で、<br /> とても今の石崎さんからは想像できません。<br /><br /> ＊＊＊<br /> ありがとうございます。<br /> 苦しさは、いつまでも続きません。<br /> また、お話しましょう。<br /> 大将<br /> <br /><br />**************************<br />メルマガ読者さまからのコメント４<br /><br /> みのりの大将へ！<br /> <br /> 感動しました！凄いです。大将&hellip;小さい時の大将、とてもご苦労<br /> されたんですね。<br /> <br /> 今の時代、いじめや悪い家庭環境の中で、耐え切れずに尊い命<br /> を絶ってしまう子供もたくさんいます。<br /> 大将のご経験は、そういう子供、また元気のない大人たちを救う<br /> お役割があると思いますよ。<br /> <br /> 今の大将の優しさが、昔の体験に基づいていらっしゃたことを<br /> 知り、ますます大将のことが大好きになりました。<br /> 本当に生きていて下さってありがとうございます。<br /><br /> ＊＊＊<br /> ありがとうございます。<br /> 少し、恥ずかしい感じが致します。<br /> 褒められ過ぎです。<br /> 出来ることから、頑張ります。<br /> 大将<br /> <br /><br />**************************<br />メルマガ読者さまからのコメント５<br /><br /> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">大将（石崎さま）へ</span></div> <div>&nbsp;</div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">おはようございます</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">○○ですご無沙汰しておりました</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">大将メールありがとうございます、大将の幼少時を聞きますと</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">どうして現在のこんなに明るい大将がいるのでしょうか</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">私の幼少期もやはり両親が商売経営で忙しく参観日・卒業式などの</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">想いでが無いのです。少しかも知れませんが石崎少年の気持ちが解る様な</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">気がします。</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">私の両親は今でも可哀想なことしたねと、口にすることがあります。</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">ただ生活には苦労はありませんでした、どちらかと言うと恵まれてたかも知れません</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">そのせいか親が忙しくて来れないのは当たり前で気にすることも無かったのですが</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">私も2児の父親になり思ったことが、学校行事は絶対出席しようとの思い出</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">今日まで来ております。</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">石崎さんの現在の活動大変ご立派ですね</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">今度ゆっくりとここまで来た道程を教えてください。</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">忙しい毎日だとは思いますが、お身体だけは無理せず頑張って下さい。</span></div> <div><span style="font-family: MS UI Gothic;">少しかもしれませんがご協力が出来ることがあれば遠慮なく仰って下さいね</span></div> <span style="font-family: MS UI Gothic;">次回御逢いできる日を楽しみにしております。</span><br /><br /> ＊＊＊<br /> 今回のメルマガを出して、<br /> 少年時代とつながらない気がします。<br /> というご感想を沢山頂きました。<br /> 自分でも、実は良く分かっていません。<br /> きっと、出逢う方が良かったのだと思います。<br /> 大将<br /><br /><a href="http://r.goope.jp/taisyo/info/4235" target="_self"><span style="font-size: small;"><strong>つづき、＜見知らぬ女性があらわれて出生の秘密を知らされる＞</strong></span></a><br /><br /><img src='http://goope.jp/goope/921/0908302021026rkq_m.jpg' />]]></description>
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