かわら版
アホのチャンピオンベルト第12ラウンド
みのりの愛笑が歩んだ「涙のアホベルトへの道のり」
<伊勢の風を感じた特別編>
□□□□□□□□□□□□□□□□□
さて、今回の伊勢の風を感じる会は、
昨年に続いての2度目の開催になりました。
ところが、実は、直前まで、
果たして無事に開催できるだろうかと、
心配な気持ちで一杯でした。
というのも、千歳のらーめんみのりは、
この1年間に大きな試練を経験しています。
パートのおばさんが主体だったメンバーが去り、
殆ど全て10代、20代の調理接客未経験者に代わりました。
さらに、売上げの回復をするために、
お客さま目線の大改革にも取り組んでいます。
開運グッズのショーケースはVIPルームに移動、
お客さまアンケートによる改善活動など、
やれることは何にでも取り組んでいます。
おかげで、ゴールデンウィークを迎えるころには、
お店のほうはスタッフも育ち、
売上げも回復の兆しがみられたのですが、
日本全国のイベントへは、ほとんど参加できずにいました。
さらには、6月15日のイベント1日前、
私たち夫婦が千歳から伊勢に向かっている途中、
店でボヤが起きたという報せがありました。
そんな状況で6月16日を迎えたのです。
― 伊勢到着、木村正子さんがご挨拶に ―
当日、会場の受付に立つと、
日本全国から集まった参加者のみなさまが、
伊勢修養団の玄関に続々と現れて下さいました。
一人一人の参加者の方々のお顔を拝見するたびに、
再会や出逢いの感動がこみあげてきます。
そして、とめどもなくハグしたり、握手をしたりで、
笑顔が溢れました。とにかく嬉しくて感動が一杯です。
さらには、SMAPの木村拓哉のお母さんで、
食に関する講演をしておられる木村正子さんが、
わざわざ私に会うためにといって顔を出して下さいました。
何かのついでに来られたのではないというので、
信じられない想いでした。
それから、開校式が始まるまでの時間、
色々とお話させていただきました。
木村さんは、夜の月次祭(つきなみさい)にも
参加するといっておられました。
時間がくると、結局、お一人の欠席も無く
106名が受付を終了して下さいました。
「うわー、本当に、よく集まって下さった!
あらためて人の輪のつながりってすごいなぁ!」
そして、いつの間にか私の中の不安の影は、
すべてどこかに吹っ飛んでしまっていました。
今日までの不安や苦労には、すべて意味があるはず。
まさに今から何かが変わり始めるんだ。
それは、ご参加くださった方にとっても同じ。
そのために、自分に出来ることを精一杯やろう。
私は、そんなワクワクした気持ちで一杯になりました。
― 開校式 ―
さて、1時間目は開校式です。
全員が2階の大講堂に集りました。
スリッパの並べ方や色々なルールの説明。
みなさん、正座をして神妙に話を聞いています。
私は、これまでと違って主催者席にいました。
全体が見渡せます。
「自分よりすごい人たちがこの会場には沢山いる。
本当に私でいいのかな?
本当にできるのかな?」
という不安が一瞬よぎりましたが、
勇気をふるい起こしました。
「私だからこそ頑張ろう
こんなに素敵な学びと出逢いの場は、
日本のどこにも他には聞いたことも見たこともない。
この火は決して絶やすことが出来ない
厨房ではボヤ騒ぎはこのまま隠しておこう」
― 童心行 ―
2時間目は童心行(どうしんぎょう)。
参加者同士が子供に戻って
素直な心を取戻そうということで、
フォークダンスや、ゲームに取り組みました。
まずは10列に座ってお互いの肩もみ。
「肩もみ始め」の合図でいっせいに始まります。
お互いに触れ合う事で、
初対面の参加者同士が少しずつ打ち解けていきます。
「終わったら自分の手の汚れを
相手の服につけてあげてください」
そして全員起立、輪になりました。
童心行その2は、わらべ歌です。
「おてて、つないで、夜道を行けば♪」
昔懐かしい童謡を、
みんなで手をつないで歌っていると、
突然、「ピー!」っと笛がなります。
リーダーから「2人!」という指示が出ました。
2組みになって、お互いに自己紹介し合うのです。
そして、また、掛け声といっしょに歌をはじめます。
少しでも元気がなくなると、
手の上げ方、足の上げ方が悪いと指導が入ります。
罰ゲームもあるので、みんなが真剣。
しばらくやると、みんな汗だくになってしまいました。
こんな感じで、3人、4人と
色んなグループをつくっていきます。
グループの人数も増えてくると、
笑い声も自然と増えていきました。
次第に緊張も忘れてしまいます。
本当に、子供になったような気がしました。
こんな感じの約1時間。
最後は「幸せなら手を叩こう♪」を
一緒に歌いました。
― 法話(ほうわ) ―
続いての第3時間目は法話です。
今回のお祭りの説明や、
伊勢神宮と天照大御神さまの
お話が紹介されました。
「知らなかったことを勉強できて良かった」という
声が多かったのが嬉しかったです。
伊勢神宮で年に2度開催される月次祭(つきなみさい)には
2000年の伝統があり、伊勢の風を感じる会は、
毎年、この祭りに合わせて開催しています。
あらためて、
めっちゃすごいイベントを主催しているんだ。
これは責任重いなと思いました。
集まって下さった皆さんには
本当に感謝だなと思いました。
― 食事会に今野華都子さんが ―
そして、夕方の食事会には、
エステシャンの世界大会で優勝したことのある
今野華都子さんが来てくれました。
月次祭のために正装で現れた
今野さんにみんなの視線が釘付けです。
すぐに、彼女には写真撮影の行列ができました。
私とは誰も一緒に写真を撮りたがりませんが、
今野さんはやはりすごい人気です。
一人ポツンとしながら、
誰にもすごいと思われていない
自分を痛感しました。
そして、親しみをもってもらえる証拠かなと、
勝手に考えてテンションがあがりました。
来て下さって本当に嬉しいなと思いました。
― 反省行 ―
そして、食事を終えると反省行が始まりました。
みんなが手に一本のろうそくを灯して、
若くして亡くなった方々のお話を聞きます。
卒業記念の北海道旅行で雪崩に巻き込まれ、
友人たちは即死し、自分も間もなく
死んでしまうという状況で何が出来るのか?
その方の遺書が紹介されました。
「ごめんね、ありがとう」という、
友人や、親に対する謝罪と感謝の言葉が一杯です。
命を失う最後に「ありがとう」を言えるなんて、
素敵な人だと思いました。
何回聞いても深くいい話です。
会場では、あちこちでシクシク泣いている人がいました。
その泣き声を聞くうちに、
この後の禊ぎ(みそぎ)は、
みんなが自分の汚れを流すためなんだと思いました。
― 禊ぎ(みそぎ) ―
さて、いよいよ禊ぎ(みそぎ)です。
男性はふんどし一丁、
女性も白装束で伊勢神宮を流れる
五十鈴川(いすずがわ)に入り、身を清めます。
エイサー、ヨイサーといって気合を入れながら体を温め、
「流汗鍛錬(りゅうかんたんれん)」の連呼で
ジャブジャブと音を立てながら肩まで川に入っていくと、
毎回、不思議な体験をすることが出来ます。
私は、今回、初めて、みそぎの間中、
川に入って行灯(あんどん)を照らす
ボンボリという役割をさせていただきました。
100名の皆さんが「流汗鍛錬」の掛け声で
水しぶきをあげながら五十鈴川に入ってくる様子は、
言葉にならないくらいの感動です。
そして、ふと星空を見上げた瞬間、
なぜか涙がこぼれました。
昨年、イスラエルに行った時に聞いた、
ナチスの人に虐殺された
ユダヤの人達の姿が眼に浮かんだのです。
そして、彼らが一緒に五十鈴川に
入ってきてくれたような気がしました。
また、イスラエルに行かなければと思いました。
あと禊ぎ(みそぎ)の間中は、
数え切れないほどのほたるが
私たちを囲んでいました。
小さな光が、あちこちで電光石火のように
光ってクリスマスのイルミネーションみたいでした。
すごく自然を感じましたし、
伊勢は本当に神秘的なところなんだと感じました。
帰ってきてみると夜の9時前。
すぐに正装して今度は月次祭への参加です。
― 月次(つきなみ)祭 ―
このお祭りは、年に2回、
神様に最高の料理をつくって差し上げるもので、
これまでに2000年間続いるといわれています。
元々は、毎月行われていた事から、
月次(つきなみ)祭という名前になりました。
そして、40名以上の神官によって、
毎回執り行われるのですが、
今回は、天皇陛下の実姉にあたられる
池田厚子さまも祭主として参加しておられました。
このお祭りに参加している約3時間、
私たちは、かすかに聞こえる
お神楽の太鼓や笛の音に耳をすませながら、
それぞれが色々なことに想いを馳せるのです。
その間、一切の私語は許されません。
私は、これまでの1年間を振り返り、
そして、今日の出来事や出逢いを振り返りながら、
使命、伝承、確信という風を感じました。
それは、学歴がなくても、
どんなに人生で失敗していても
自分を信じろというメッセージでした。
この使命、伝承、確信に自分に
必要なことが全部隠されている、
自分を信じて生きていこうと思いました。
使命と伝承いうのは、
2000年間続いたこのお祭りの火を、
伊勢の風を感じる会を開催することで続けていくこと。
確信は、何に頼ることがなくても、
自分を信じてもいいんだという信念です。
お恥ずかしい話ですが、
これまでの人生で、
初めてこの確信を感じることが出来ました。
ちなみに、去年の風は感謝と謙虚でした。
伊勢とのかかわりが持てたことへの感謝と、
大きなつながりの中で生きていることへの
謙虚さを胸に刻んでいこうと思ったのです。
― 直会(なおらい) ―
そして、いよいよ夜の12時から
直会(なおらい=飲み会)が始まりました。
若者同士が語り合ったり、
田島和子さん、高田糸さん、
赤塚高仁さんの周りには沢山の方が集まっていました。
それぞれが、思い思いの形で出逢いの感動を深め、
今日の出来事をあらためて分かち合っておられます。
話はいつまでも尽きません。
遅い人は翌朝の4時、5時まで盛り上がっていました。
― 正式参拝 ―
2日目は6時起床、まずは伊勢神宮に正式参拝です。
修養団名物の寺岡さんからは、今回も、
熱いお話を頂戴して時間も予定通りオーバーしていました。
― 閉校式 ―
閉校式では、予定されていた中山先生に代わって
私がお話をさせていただきました。
自分で大丈夫だろうかと思いましたが、
中山先生に聞きたいといわれれば断るわけにはいきません。
来るべき時が来た。やるしかない。
そこで、現在、夫婦の間で取り組んでいる
「愛のメッセージ箱」の話をさせていただきました。
妻の紀子が嬉しいことがあった時には
この箱に簡単なメッセージをいれてくれるのです。
この箱の取り組みを始めるまで、私は、
身近にいるゆえに、日々の感謝を伝えたり、
苦労をひとつでも分かち合うための努力が欠けていました。
妻に甘えるばかりで、おろそかになっていた
ことが沢山あったことに気づいたのです。
それを少しでも穴埋めしたいと思って、
約2ヶ月前からこんな取り組みを始めてみました。
そして、週に一度、この箱を一緒に開けるのです。
メッセージが一枚でも入っているかを確認する瞬間は、
毎回ドキドキ感が一杯になります。
少なければ悲しくなりますし、
沢山入っていると有頂天になってしまいます。
そして、不思議なことに、
メッセージが沢山入っている週は、
感動的な嬉しいことがいくつも重なっているのです。
夫婦関係もお店もスムーズな上に、
ご縁のある方からの親切が続きます。
この箱を通じて、いかに、
私が妻の気持ちを分かってあげられていなかったかが、
身にしみました。
始めて35日目に箱を開けたときには
メッセージにハートマークがついていたのですが、
結婚以来、初めてのことでした。
ジワーっと嬉しい気持ちが広がって言葉になりません。
この活動を通じて、そばにいる人に、
自分の愛が届いていることがどれだけ大切か、
やっと気づいた私です。
終わってみると、
日本全国から伊勢に集まった方々に、
ずっと、このような身近な話ばかりで、
申し訳ありませんでした。
けれども、たいした成功もしていない私に、
何がお伝えできることといえば、
自分への反省くらいだと思って
お話させていただいた次第です。
本当にありがたい機会でした。
― 目に見えないもの ―
あと、私の話を補足する形で
予想外に中山先生も30分ほど話して下さり、
これまた感謝です。
体調が優れないというので、
来る前は心配したのですが、
とてもお元気でした。
先生のお話で特に印象的だったのがこの言葉。
「目に見えないものを信じるところにすごいことがある」
鳥は空気をみられない。
魚は水をみられない。
人間は、空気にどれだけ感謝をしているだろうか。
さすがだなと思いました。
あと、
いつも良いことを思って、
いつもいいことを言って、
いつもいいことをしよう。
それから、
困難そのものが自分の成長の鍵。
立ち向かうというのは少し違う。
困難に対して感謝するという思いが大切。
そんな言葉が心に残りました。
― また、逢いましょう ―
別れ際には、みなさん、
すっきりした顔をされておられて、
きっと、何かを感じていただけたのかなと思いました。
やっぱり、伊勢は身も心も入れ替えるために
行く場所なのかもしれません。
これからも、一人でも多くの人が、
訪ねて欲しいと心から思いました。
終わると、すぐに参加者から
東京で講演をして欲しいというお話しや、
参加して良かった、
また、逢いましょうというお声を頂けました。
「こんなにすごい集まりを
自分なんかが主催していいのだろうか?」
最初は、そんな気持ちでいましたし、
実際には、私からはささやかな事しか
出来ませんでしたが、
あり余る温かい交流や学びの場になり
心から感謝で一杯です。
ご参加下さったみなさま、
本当にありがとうございました。
みのりの愛笑が歩んだ「涙のアホベルトへの道のり」
<伊勢の風を感じた特別編>
□□□□□□□□□□□□□□□□□
さて、今回の伊勢の風を感じる会は、
昨年に続いての2度目の開催になりました。
ところが、実は、直前まで、
果たして無事に開催できるだろうかと、
心配な気持ちで一杯でした。
というのも、千歳のらーめんみのりは、
この1年間に大きな試練を経験しています。
パートのおばさんが主体だったメンバーが去り、
殆ど全て10代、20代の調理接客未経験者に代わりました。
さらに、売上げの回復をするために、
お客さま目線の大改革にも取り組んでいます。
開運グッズのショーケースはVIPルームに移動、
お客さまアンケートによる改善活動など、
やれることは何にでも取り組んでいます。
おかげで、ゴールデンウィークを迎えるころには、
お店のほうはスタッフも育ち、
売上げも回復の兆しがみられたのですが、
日本全国のイベントへは、ほとんど参加できずにいました。
さらには、6月15日のイベント1日前、
私たち夫婦が千歳から伊勢に向かっている途中、
店でボヤが起きたという報せがありました。
そんな状況で6月16日を迎えたのです。
― 伊勢到着、木村正子さんがご挨拶に ―
当日、会場の受付に立つと、
日本全国から集まった参加者のみなさまが、
伊勢修養団の玄関に続々と現れて下さいました。
一人一人の参加者の方々のお顔を拝見するたびに、
再会や出逢いの感動がこみあげてきます。
そして、とめどもなくハグしたり、握手をしたりで、
笑顔が溢れました。とにかく嬉しくて感動が一杯です。
さらには、SMAPの木村拓哉のお母さんで、
食に関する講演をしておられる木村正子さんが、
わざわざ私に会うためにといって顔を出して下さいました。
何かのついでに来られたのではないというので、
信じられない想いでした。
それから、開校式が始まるまでの時間、
色々とお話させていただきました。
木村さんは、夜の月次祭(つきなみさい)にも
参加するといっておられました。
時間がくると、結局、お一人の欠席も無く
106名が受付を終了して下さいました。
「うわー、本当に、よく集まって下さった!
あらためて人の輪のつながりってすごいなぁ!」
そして、いつの間にか私の中の不安の影は、
すべてどこかに吹っ飛んでしまっていました。
今日までの不安や苦労には、すべて意味があるはず。
まさに今から何かが変わり始めるんだ。
それは、ご参加くださった方にとっても同じ。
そのために、自分に出来ることを精一杯やろう。
私は、そんなワクワクした気持ちで一杯になりました。
― 開校式 ―
さて、1時間目は開校式です。
全員が2階の大講堂に集りました。
スリッパの並べ方や色々なルールの説明。
みなさん、正座をして神妙に話を聞いています。
私は、これまでと違って主催者席にいました。
全体が見渡せます。
「自分よりすごい人たちがこの会場には沢山いる。
本当に私でいいのかな?
本当にできるのかな?」
という不安が一瞬よぎりましたが、
勇気をふるい起こしました。
「私だからこそ頑張ろう
こんなに素敵な学びと出逢いの場は、
日本のどこにも他には聞いたことも見たこともない。
この火は決して絶やすことが出来ない
厨房ではボヤ騒ぎはこのまま隠しておこう」
― 童心行 ―
2時間目は童心行(どうしんぎょう)。
参加者同士が子供に戻って
素直な心を取戻そうということで、
フォークダンスや、ゲームに取り組みました。
まずは10列に座ってお互いの肩もみ。
「肩もみ始め」の合図でいっせいに始まります。
お互いに触れ合う事で、
初対面の参加者同士が少しずつ打ち解けていきます。
「終わったら自分の手の汚れを
相手の服につけてあげてください」
そして全員起立、輪になりました。
童心行その2は、わらべ歌です。
「おてて、つないで、夜道を行けば♪」
昔懐かしい童謡を、
みんなで手をつないで歌っていると、
突然、「ピー!」っと笛がなります。
リーダーから「2人!」という指示が出ました。
2組みになって、お互いに自己紹介し合うのです。
そして、また、掛け声といっしょに歌をはじめます。
少しでも元気がなくなると、
手の上げ方、足の上げ方が悪いと指導が入ります。
罰ゲームもあるので、みんなが真剣。
しばらくやると、みんな汗だくになってしまいました。
こんな感じで、3人、4人と
色んなグループをつくっていきます。
グループの人数も増えてくると、
笑い声も自然と増えていきました。
次第に緊張も忘れてしまいます。
本当に、子供になったような気がしました。
こんな感じの約1時間。
最後は「幸せなら手を叩こう♪」を
一緒に歌いました。
― 法話(ほうわ) ―
続いての第3時間目は法話です。
今回のお祭りの説明や、
伊勢神宮と天照大御神さまの
お話が紹介されました。
「知らなかったことを勉強できて良かった」という
声が多かったのが嬉しかったです。
伊勢神宮で年に2度開催される月次祭(つきなみさい)には
2000年の伝統があり、伊勢の風を感じる会は、
毎年、この祭りに合わせて開催しています。
あらためて、
めっちゃすごいイベントを主催しているんだ。
これは責任重いなと思いました。
集まって下さった皆さんには
本当に感謝だなと思いました。
― 食事会に今野華都子さんが ―
そして、夕方の食事会には、
エステシャンの世界大会で優勝したことのある
今野華都子さんが来てくれました。
月次祭のために正装で現れた
今野さんにみんなの視線が釘付けです。
すぐに、彼女には写真撮影の行列ができました。
私とは誰も一緒に写真を撮りたがりませんが、
今野さんはやはりすごい人気です。
一人ポツンとしながら、
誰にもすごいと思われていない
自分を痛感しました。
そして、親しみをもってもらえる証拠かなと、
勝手に考えてテンションがあがりました。
来て下さって本当に嬉しいなと思いました。
― 反省行 ―
そして、食事を終えると反省行が始まりました。
みんなが手に一本のろうそくを灯して、
若くして亡くなった方々のお話を聞きます。
卒業記念の北海道旅行で雪崩に巻き込まれ、
友人たちは即死し、自分も間もなく
死んでしまうという状況で何が出来るのか?
その方の遺書が紹介されました。
「ごめんね、ありがとう」という、
友人や、親に対する謝罪と感謝の言葉が一杯です。
命を失う最後に「ありがとう」を言えるなんて、
素敵な人だと思いました。
何回聞いても深くいい話です。
会場では、あちこちでシクシク泣いている人がいました。
その泣き声を聞くうちに、
この後の禊ぎ(みそぎ)は、
みんなが自分の汚れを流すためなんだと思いました。
― 禊ぎ(みそぎ) ―
さて、いよいよ禊ぎ(みそぎ)です。
男性はふんどし一丁、
女性も白装束で伊勢神宮を流れる
五十鈴川(いすずがわ)に入り、身を清めます。
エイサー、ヨイサーといって気合を入れながら体を温め、
「流汗鍛錬(りゅうかんたんれん)」の連呼で
ジャブジャブと音を立てながら肩まで川に入っていくと、
毎回、不思議な体験をすることが出来ます。
私は、今回、初めて、みそぎの間中、
川に入って行灯(あんどん)を照らす
ボンボリという役割をさせていただきました。
100名の皆さんが「流汗鍛錬」の掛け声で
水しぶきをあげながら五十鈴川に入ってくる様子は、
言葉にならないくらいの感動です。
そして、ふと星空を見上げた瞬間、
なぜか涙がこぼれました。
昨年、イスラエルに行った時に聞いた、
ナチスの人に虐殺された
ユダヤの人達の姿が眼に浮かんだのです。
そして、彼らが一緒に五十鈴川に
入ってきてくれたような気がしました。
また、イスラエルに行かなければと思いました。
あと禊ぎ(みそぎ)の間中は、
数え切れないほどのほたるが
私たちを囲んでいました。
小さな光が、あちこちで電光石火のように
光ってクリスマスのイルミネーションみたいでした。
すごく自然を感じましたし、
伊勢は本当に神秘的なところなんだと感じました。
帰ってきてみると夜の9時前。
すぐに正装して今度は月次祭への参加です。
― 月次(つきなみ)祭 ―
このお祭りは、年に2回、
神様に最高の料理をつくって差し上げるもので、
これまでに2000年間続いるといわれています。
元々は、毎月行われていた事から、
月次(つきなみ)祭という名前になりました。
そして、40名以上の神官によって、
毎回執り行われるのですが、
今回は、天皇陛下の実姉にあたられる
池田厚子さまも祭主として参加しておられました。
このお祭りに参加している約3時間、
私たちは、かすかに聞こえる
お神楽の太鼓や笛の音に耳をすませながら、
それぞれが色々なことに想いを馳せるのです。
その間、一切の私語は許されません。
私は、これまでの1年間を振り返り、
そして、今日の出来事や出逢いを振り返りながら、
使命、伝承、確信という風を感じました。
それは、学歴がなくても、
どんなに人生で失敗していても
自分を信じろというメッセージでした。
この使命、伝承、確信に自分に
必要なことが全部隠されている、
自分を信じて生きていこうと思いました。
使命と伝承いうのは、
2000年間続いたこのお祭りの火を、
伊勢の風を感じる会を開催することで続けていくこと。
確信は、何に頼ることがなくても、
自分を信じてもいいんだという信念です。
お恥ずかしい話ですが、
これまでの人生で、
初めてこの確信を感じることが出来ました。
ちなみに、去年の風は感謝と謙虚でした。
伊勢とのかかわりが持てたことへの感謝と、
大きなつながりの中で生きていることへの
謙虚さを胸に刻んでいこうと思ったのです。
― 直会(なおらい) ―
そして、いよいよ夜の12時から
直会(なおらい=飲み会)が始まりました。
若者同士が語り合ったり、
田島和子さん、高田糸さん、
赤塚高仁さんの周りには沢山の方が集まっていました。
それぞれが、思い思いの形で出逢いの感動を深め、
今日の出来事をあらためて分かち合っておられます。
話はいつまでも尽きません。
遅い人は翌朝の4時、5時まで盛り上がっていました。
― 正式参拝 ―
2日目は6時起床、まずは伊勢神宮に正式参拝です。
修養団名物の寺岡さんからは、今回も、
熱いお話を頂戴して時間も予定通りオーバーしていました。
― 閉校式 ―
閉校式では、予定されていた中山先生に代わって
私がお話をさせていただきました。
自分で大丈夫だろうかと思いましたが、
中山先生に聞きたいといわれれば断るわけにはいきません。
来るべき時が来た。やるしかない。
そこで、現在、夫婦の間で取り組んでいる
「愛のメッセージ箱」の話をさせていただきました。
妻の紀子が嬉しいことがあった時には
この箱に簡単なメッセージをいれてくれるのです。
この箱の取り組みを始めるまで、私は、
身近にいるゆえに、日々の感謝を伝えたり、
苦労をひとつでも分かち合うための努力が欠けていました。
妻に甘えるばかりで、おろそかになっていた
ことが沢山あったことに気づいたのです。
それを少しでも穴埋めしたいと思って、
約2ヶ月前からこんな取り組みを始めてみました。
そして、週に一度、この箱を一緒に開けるのです。
メッセージが一枚でも入っているかを確認する瞬間は、
毎回ドキドキ感が一杯になります。
少なければ悲しくなりますし、
沢山入っていると有頂天になってしまいます。
そして、不思議なことに、
メッセージが沢山入っている週は、
感動的な嬉しいことがいくつも重なっているのです。
夫婦関係もお店もスムーズな上に、
ご縁のある方からの親切が続きます。
この箱を通じて、いかに、
私が妻の気持ちを分かってあげられていなかったかが、
身にしみました。
始めて35日目に箱を開けたときには
メッセージにハートマークがついていたのですが、
結婚以来、初めてのことでした。
ジワーっと嬉しい気持ちが広がって言葉になりません。
この活動を通じて、そばにいる人に、
自分の愛が届いていることがどれだけ大切か、
やっと気づいた私です。
終わってみると、
日本全国から伊勢に集まった方々に、
ずっと、このような身近な話ばかりで、
申し訳ありませんでした。
けれども、たいした成功もしていない私に、
何がお伝えできることといえば、
自分への反省くらいだと思って
お話させていただいた次第です。
本当にありがたい機会でした。
― 目に見えないもの ―
あと、私の話を補足する形で
予想外に中山先生も30分ほど話して下さり、
これまた感謝です。
体調が優れないというので、
来る前は心配したのですが、
とてもお元気でした。
先生のお話で特に印象的だったのがこの言葉。
「目に見えないものを信じるところにすごいことがある」
鳥は空気をみられない。
魚は水をみられない。
人間は、空気にどれだけ感謝をしているだろうか。
さすがだなと思いました。
あと、
いつも良いことを思って、
いつもいいことを言って、
いつもいいことをしよう。
それから、
困難そのものが自分の成長の鍵。
立ち向かうというのは少し違う。
困難に対して感謝するという思いが大切。
そんな言葉が心に残りました。
― また、逢いましょう ―
別れ際には、みなさん、
すっきりした顔をされておられて、
きっと、何かを感じていただけたのかなと思いました。
やっぱり、伊勢は身も心も入れ替えるために
行く場所なのかもしれません。
これからも、一人でも多くの人が、
訪ねて欲しいと心から思いました。
終わると、すぐに参加者から
東京で講演をして欲しいというお話しや、
参加して良かった、
また、逢いましょうというお声を頂けました。
「こんなにすごい集まりを
自分なんかが主催していいのだろうか?」
最初は、そんな気持ちでいましたし、
実際には、私からはささやかな事しか
出来ませんでしたが、
あり余る温かい交流や学びの場になり
心から感謝で一杯です。
ご参加下さったみなさま、
本当にありがとうございました。
アホのチャンピオンベルト第11ラウンド
みのりの愛笑が歩んだ
「涙のアホベルトへの道のり」
<あなたから買うなら値段は関係ないよね>
***************
(これまでの内容)
私の幼少期は、
食べるものにもこと欠くぐらいに貧乏な上に、
近所の子供たちいじめられ、さらには、
親から虐待される毎日。
中学に入ると、毎日、
死ぬ事ばかりを考えていました。
ところが、そんなある日、
漁に行く最中にUFOに出逢ってからは、
何をやっても上手くいくようになり、
お金にも不自由しなくなったのです。
それからは、多少の苦労はしましたが、
若くして沢山の夢を叶えました。
しかし、27歳の時に騙されて全財産を失い、
街にもいられなくなりました。
再び死のうかとも考えましたが、
最後に、もう1回だけ頑張ろうと札幌に出てきて、
職を点々とするうち、
不思議な女性オーナーにあって、
自分がやるべき仕事を探し始めたのです。
前回の内容はこちらにございます。
http://r.goope.jp/taisyo/info/32978
(ここからが今回の内容です)
<NTTの子会社に入社?>
女性オーナーとの約束で
読売新聞の営業の仕事を1日で辞めた私は、
再び新聞の求人欄で次の仕事を探すことにしました。
そして、見つけたのが
NTSという電話の加入権を売る会社です。
正式名称「日本(N)テレホン(T)サービスセンター(S)」
街を歩きながら電話のついていない家を探し、
電話をつけてあげる仕事です。
裁判所で差し押さえられていた加入権を、
1万円か2万円で仕入れて72800円で売るビジネス。
契約1つにつき代行手数料8000円と2万円のコミッションで、
合計2万8000円をもらうことが出来ます。
住民票があったおかげで無事に面接も合格した私は、
1月11日に入社することが出来ました。
NTSの札幌事務所は、
インチキ換気扇の会社とは違って、
ちゃんとした会社でした。
私は「NTTの子会社に入れた!」と思って、
思わず喜んでしまったのですが、実は、
まったく違うくことにすぐ気づきました。
理由は、あたかもNTTから来た風に
装うのがミソだと教わったからです。
「日本テレホン代行サービスです、
この地区の担当になりましたので、
電話の設置を代行に来ました」
そういうと、本当に、
お客さんは信用してくれました。
<NTTだと思ってもらえるように>
さらに、私はNTTに行って、
NTTのロゴが入ったファイルとボールペンを
沢山もらってきてお客さんの目に止まるように
使うようにしました。
ファイルとボールペンはタダでもらうことが出来たのです。
駄目押しには、
自分のお金でテレホンカードを10枚くらい買っておいて
書類なんかと一緒に挟んでおきました。
口で「NTTです」といったらまずいので、
勝手にNTTだと思ってもらえるようにしたのです。
それは会社には内緒にしていました。
毎日午後1時に出社して朝礼が終わると、
会社で営業トークを教わりロールプレイングを練習します。
しかし、フルコミの採用だった私は参加が自由だったこともあり、
独自の営業方法でチャレンジすることにしました。
「この地区を担当しています。
電話のついてない家庭につけてさしあげています」
そう教わったとおりいっても、
心に響かないと思ったのです。
そこで、何をやったかというと、
毎日の出社前に電話のついてない家を探しておいて、
午後には無駄なくどんどん訪問できるようにしました。
電信柱から線が引かれていない家は
電話がついていないので探すのは簡単でした。
<汗だくになって>
しかし、それだと効率が悪いなと思うようになり、
新築のアパートやマンションを探して営業することにしたのです。
そして、お引越最中の人を見つけて、まずは、
自ら汗だくになって一生懸命手伝いました。
それから、ひざを突き合わせて、
「電話ついてないですよね」と話すと、
ほぼ100%で契約をしてもらえるのです。
書類を出すときには、契約書の名前に
隣の人が入っているのを見えるようにしました。
「あ、隣の人も入ってくれたんです」
そう、気づいてもらえるようにしたのです。
そうすると、1棟まるごと契約が取れたりして、加入権以外に、
手数料だけで1日10万円くらいになることもありました。
契約手数料は会社に渡さなくても良いという
ことになっていたので、そのまま全部収入になります。
この他にも1件2万円のコミッションを
お給料としてもらいました。
そんなことをやっていると、
他の営業マンの平均のお給料が20、30万円という中で、
最初の月のお給料が手取りで130万円位になりました。
成績は日本1位。
「当たり前のことをしているだけだ」
そう思っていたのでびっくりでした。
本当に嬉しかったです。
発表されるまで、会社の中でランキングを
つけていることも知りませんでした。
NTSには全国で200名くらいの営業マンがいて、
1位から3位までは賞金が出ました。
1位が50万、2位が30万、3位が10万。
その場で支給されて、また、ビックリです。
<あなたから買うなら値段は関係ないよね>
飛び込みがうまくいったのは、
真言宗のお寺のご住職から「営業のコツ」を教えてもらったのが
その理由かもしれません。
以前、漁師をやめて魚の行商を始めたものの、
どうすればいいか分らなくて悩んだことがありました。
その時、このご住職の噂を聞いて
横浜まで会いにいったのです。
「あなたが魚の行商をするときに、
あなたは魚を売っているのか、
あなたを売っているのかどっちですか?
お客さんは、あなたのどこを見ていると思いますか?」
このように聞かれましたが、
私には分りませんでした。
「お客さんは、あなたの背中を見ているんですよ。
断られた時に、バタンと戸を閉めて返る人と、
お話を聞いてくれてありがとうございましたという人がいる。
それは、心を売っているんだよね」
そう教えてもらいました。
この話を覚えていたので、断られた時に、
扉の向こうから「ありがとうございました」と
一礼をするようにしていたのです。
実際、それで、呼び止められて
本当に契約になったこともありました。
魚を売っている時にも値段を上げることが出来ました。
「あなたから買うなら値段は関係ないよね」
それが、ご住職のアドバイスでした
<仙台行き>
NTSの仕事は2ヶ月目が全国2位、
3ヶ月目が再び全国1位でした。
すると、大阪の本社から社長が
北海道まで会いにきてこういったのです。
「仙台に営業所を出すので行って欲しい。
経費は会社で全部持つ。役職は課長だ。
是非、よろしく頼む」
こうして、私は仙台へ行くことになりました。
「自分でも出来るんだ」と思って、
仙台行きの話はとても嬉しかったです。
「もしかしたら、すごいことになるかもしれない。
これは、なすがままに行ってみよう」
仙台についてみると4月は雪も無くて、
バイクで動けたことが幸いでした。
そして、行った月から、また、日本1位。
預金残高も500万円を越えました。
ただ、最初の話と違って、
仙台では北海道から一緒に来ていた支店長が、
私のアパートで一緒に暮していたのが、
少し、気になっていました。
社長に相談すると、びっくりして、
すぐに仙台にやってきました。
そこで、支店長が会社のお金を流用していたことや、
ウソを言って私のアパートに住んでいたことが発覚。
社長は激怒していましたが、
私は支店長が自分に寄生しているのを見て、
やる気がなくなってしまいました。
「これは、続けられない」
私はNTSを辞めることにしました。
<般若心経を唱えて>
すごいお金がもらえたり、
日本一になれたのはワクワクしましたし、
ありがたかったのですが、
心のどこかでは「このままでいいんだろうか、
自分が本当にやりたいことを見つけよう」という
気持ちもありました。
それでも、一度は地獄に落ちて
飢え死にしかかっていたのを
女性オーナー、ご住職のおかげで
短期間で落ち着く事ができたこと
NTSが拾ってくれたことには感謝で一杯でした。
「今は、目に見えないものへの
お礼参りが必要かもしれない。
しばらくは、静かに般若心経を唱えて
これからのことでも考えてみよう」
そう思って、仙台にある真言宗のお寺で
托鉢をすることにしました。
托鉢をやろうと思ったのは、
私が和歌山の奥の院、高野山のお経が
なぜか大好きだったからです。
「営業のコツ」を教えてくれたご住職も、
真言宗の方でした。
お寺に相談すると、すぐに、
古い家を1ヶ月3000円で
貸してくれる人を見つけてくれました。
そこで、寝泊りしながら
般若心経を唱える日々を始めたのです。
1984年、28歳のことです。
<つづく>
アホのチャンピオンベルト第12ラウンド~「伊勢の風を感じた特別編」
みのりの愛笑が歩んだ
「涙のアホベルトへの道のり」
<あなたから買うなら値段は関係ないよね>
***************
(これまでの内容)
私の幼少期は、
食べるものにもこと欠くぐらいに貧乏な上に、
近所の子供たちいじめられ、さらには、
親から虐待される毎日。
中学に入ると、毎日、
死ぬ事ばかりを考えていました。
ところが、そんなある日、
漁に行く最中にUFOに出逢ってからは、
何をやっても上手くいくようになり、
お金にも不自由しなくなったのです。
それからは、多少の苦労はしましたが、
若くして沢山の夢を叶えました。
しかし、27歳の時に騙されて全財産を失い、
街にもいられなくなりました。
再び死のうかとも考えましたが、
最後に、もう1回だけ頑張ろうと札幌に出てきて、
職を点々とするうち、
不思議な女性オーナーにあって、
自分がやるべき仕事を探し始めたのです。
前回の内容はこちらにございます。
http://r.goope.jp/taisyo/info/32978
(ここからが今回の内容です)
<NTTの子会社に入社?>
女性オーナーとの約束で
読売新聞の営業の仕事を1日で辞めた私は、
再び新聞の求人欄で次の仕事を探すことにしました。
そして、見つけたのが
NTSという電話の加入権を売る会社です。
正式名称「日本(N)テレホン(T)サービスセンター(S)」
街を歩きながら電話のついていない家を探し、
電話をつけてあげる仕事です。
裁判所で差し押さえられていた加入権を、
1万円か2万円で仕入れて72800円で売るビジネス。
契約1つにつき代行手数料8000円と2万円のコミッションで、
合計2万8000円をもらうことが出来ます。
住民票があったおかげで無事に面接も合格した私は、
1月11日に入社することが出来ました。
NTSの札幌事務所は、
インチキ換気扇の会社とは違って、
ちゃんとした会社でした。
私は「NTTの子会社に入れた!」と思って、
思わず喜んでしまったのですが、実は、
まったく違うくことにすぐ気づきました。
理由は、あたかもNTTから来た風に
装うのがミソだと教わったからです。
「日本テレホン代行サービスです、
この地区の担当になりましたので、
電話の設置を代行に来ました」
そういうと、本当に、
お客さんは信用してくれました。
<NTTだと思ってもらえるように>
さらに、私はNTTに行って、
NTTのロゴが入ったファイルとボールペンを
沢山もらってきてお客さんの目に止まるように
使うようにしました。
ファイルとボールペンはタダでもらうことが出来たのです。
駄目押しには、
自分のお金でテレホンカードを10枚くらい買っておいて
書類なんかと一緒に挟んでおきました。
口で「NTTです」といったらまずいので、
勝手にNTTだと思ってもらえるようにしたのです。
それは会社には内緒にしていました。
毎日午後1時に出社して朝礼が終わると、
会社で営業トークを教わりロールプレイングを練習します。
しかし、フルコミの採用だった私は参加が自由だったこともあり、
独自の営業方法でチャレンジすることにしました。
「この地区を担当しています。
電話のついてない家庭につけてさしあげています」
そう教わったとおりいっても、
心に響かないと思ったのです。
そこで、何をやったかというと、
毎日の出社前に電話のついてない家を探しておいて、
午後には無駄なくどんどん訪問できるようにしました。
電信柱から線が引かれていない家は
電話がついていないので探すのは簡単でした。
<汗だくになって>
しかし、それだと効率が悪いなと思うようになり、
新築のアパートやマンションを探して営業することにしたのです。
そして、お引越最中の人を見つけて、まずは、
自ら汗だくになって一生懸命手伝いました。
それから、ひざを突き合わせて、
「電話ついてないですよね」と話すと、
ほぼ100%で契約をしてもらえるのです。
書類を出すときには、契約書の名前に
隣の人が入っているのを見えるようにしました。
「あ、隣の人も入ってくれたんです」
そう、気づいてもらえるようにしたのです。
そうすると、1棟まるごと契約が取れたりして、加入権以外に、
手数料だけで1日10万円くらいになることもありました。
契約手数料は会社に渡さなくても良いという
ことになっていたので、そのまま全部収入になります。
この他にも1件2万円のコミッションを
お給料としてもらいました。
そんなことをやっていると、
他の営業マンの平均のお給料が20、30万円という中で、
最初の月のお給料が手取りで130万円位になりました。
成績は日本1位。
「当たり前のことをしているだけだ」
そう思っていたのでびっくりでした。
本当に嬉しかったです。
発表されるまで、会社の中でランキングを
つけていることも知りませんでした。
NTSには全国で200名くらいの営業マンがいて、
1位から3位までは賞金が出ました。
1位が50万、2位が30万、3位が10万。
その場で支給されて、また、ビックリです。
<あなたから買うなら値段は関係ないよね>
飛び込みがうまくいったのは、
真言宗のお寺のご住職から「営業のコツ」を教えてもらったのが
その理由かもしれません。
以前、漁師をやめて魚の行商を始めたものの、
どうすればいいか分らなくて悩んだことがありました。
その時、このご住職の噂を聞いて
横浜まで会いにいったのです。
「あなたが魚の行商をするときに、
あなたは魚を売っているのか、
あなたを売っているのかどっちですか?
お客さんは、あなたのどこを見ていると思いますか?」
このように聞かれましたが、
私には分りませんでした。
「お客さんは、あなたの背中を見ているんですよ。
断られた時に、バタンと戸を閉めて返る人と、
お話を聞いてくれてありがとうございましたという人がいる。
それは、心を売っているんだよね」
そう教えてもらいました。
この話を覚えていたので、断られた時に、
扉の向こうから「ありがとうございました」と
一礼をするようにしていたのです。
実際、それで、呼び止められて
本当に契約になったこともありました。
魚を売っている時にも値段を上げることが出来ました。
「あなたから買うなら値段は関係ないよね」
それが、ご住職のアドバイスでした
<仙台行き>
NTSの仕事は2ヶ月目が全国2位、
3ヶ月目が再び全国1位でした。
すると、大阪の本社から社長が
北海道まで会いにきてこういったのです。
「仙台に営業所を出すので行って欲しい。
経費は会社で全部持つ。役職は課長だ。
是非、よろしく頼む」
こうして、私は仙台へ行くことになりました。
「自分でも出来るんだ」と思って、
仙台行きの話はとても嬉しかったです。
「もしかしたら、すごいことになるかもしれない。
これは、なすがままに行ってみよう」
仙台についてみると4月は雪も無くて、
バイクで動けたことが幸いでした。
そして、行った月から、また、日本1位。
預金残高も500万円を越えました。
ただ、最初の話と違って、
仙台では北海道から一緒に来ていた支店長が、
私のアパートで一緒に暮していたのが、
少し、気になっていました。
社長に相談すると、びっくりして、
すぐに仙台にやってきました。
そこで、支店長が会社のお金を流用していたことや、
ウソを言って私のアパートに住んでいたことが発覚。
社長は激怒していましたが、
私は支店長が自分に寄生しているのを見て、
やる気がなくなってしまいました。
「これは、続けられない」
私はNTSを辞めることにしました。
<般若心経を唱えて>
すごいお金がもらえたり、
日本一になれたのはワクワクしましたし、
ありがたかったのですが、
心のどこかでは「このままでいいんだろうか、
自分が本当にやりたいことを見つけよう」という
気持ちもありました。
それでも、一度は地獄に落ちて
飢え死にしかかっていたのを
女性オーナー、ご住職のおかげで
短期間で落ち着く事ができたこと
NTSが拾ってくれたことには感謝で一杯でした。
「今は、目に見えないものへの
お礼参りが必要かもしれない。
しばらくは、静かに般若心経を唱えて
これからのことでも考えてみよう」
そう思って、仙台にある真言宗のお寺で
托鉢をすることにしました。
托鉢をやろうと思ったのは、
私が和歌山の奥の院、高野山のお経が
なぜか大好きだったからです。
「営業のコツ」を教えてくれたご住職も、
真言宗の方でした。
お寺に相談すると、すぐに、
古い家を1ヶ月3000円で
貸してくれる人を見つけてくれました。
そこで、寝泊りしながら
般若心経を唱える日々を始めたのです。
1984年、28歳のことです。
<つづく>
アホのチャンピオンベルト第12ラウンド~「伊勢の風を感じた特別編」
みのりの愛笑が歩んだ
「涙のアホベルトへの道のり」
////////////////////////////////////////
<10日ぶりのお風呂は極楽>
とにかく仕事を見つけようと思った私は、
ゴミ箱に捨てられている新聞を拾ってきて、
仕事探しを始めました。
そして、選んだのが衛生器具の取り付け会社でした。
酪農をしている農家のポットントイレの
換気口を変える仕事です。
1月8日、面接に行った私は、
ひげぼうぼうで臭い体臭を出しまくっていましたが、
担当者は何も言わずに採用してくれました。
住民票がない私を何も聞かずに採用してくれて、
しかも、寮とお風呂があるなんて、
「なんて幸運なんだろう」と思いました。
そして、お布団をもらって寮に案内されました。
「ここだから」といわれた所は、
仕切りの無い部屋に、
30人ぐらいがごろ寝をして暮している場所でしたが、
私にとってはとてもありがたかったです。
そして、10日ぶりのお風呂。
「極楽だ~ 最高だ~」と思いました。
あがってみると、身体を拭くタオルも
替えのパンツもありませんでしたが、
パンツはお風呂で洗って何とか済ませました。
そして、部屋に戻ってきたのですが、
ちょうど、会社の先輩達がポツリポツリと、
戻ってきるところでした。
挨拶をしようと思って、
目を凝らしてみてハッとしました。
「普通じゃない」
人相や格好がおかしい。
暴力団みたいな感じの人たちばかりなのです。
「一体、どんな仕事するのかな」と思いました。
<札幌の衛生局から来ました>
翌日は、ナンバーワンセールスマンに同行して、
仕事を覚えることになりました。
それが、実は詐欺商法だったのです。
まずは、札幌市郊外の酪農をしているお宅を訪問、
こんなウソを言って安心させます。
「札幌の衛生局から来ました」
「トイレに雨漏りの水が溜まりませんか?」
そして、点検をするといいながら、
点検している振りをして換気扇を壊します。
次に、「簡単な部品の取替えで雨漏りは大丈夫。
8000円で出来る」とか甘いことを言って、
結局は30万円のローンを組ませるのです。
私は、目の前で繰り広げられる光景を横から見ながら、
罪悪感で一杯になってしまいました。
泥まみれになりながら一生懸命働いている、
おじさん、おばさんを言葉巧みに騙すのです。
「一瞬でも早く帰りたい」
この姿を、お世話になった友人たちや家族に見られたらと、
思うだけで怖かったですし、騙されてローンを組んだ方に
申し訳なくてたまりませんでした。
私は、その日の夕方、会社にもどると、
そのまま、お風呂にも入らず、
荷物をまとめて辞めて来ました。
「私には出来ません。ごめんなさい。合いません」
誰も何も言いませんでした。
会社を出て、夕暮れの冷たい風の中を歩きながら、
「また、今日から車で寝るんだ」と思うと
無性に悲しかったです。
「田舎の人間が札幌に来ても、
まともな、仕事にはつけないんだな」
生まれて初めて、
お金が沢山欲しいと思いました。
<神がかりな女性オーナー>
その翌日、また、色々と仕事を探しているうちに、
今度は読売新聞の営業に採用されることになりました。
カプセルホテルで拾った新聞の募集広告を見て応募したのです。
採用が決まってホッとしている私に、
その販売店の社長はこんな事を言いました。
「この隣にある4階建てのビルの4階で
お花と着付けの教室をやっている女性がいるんだけれど、
誰が勧誘に行っても断られるんだよ。
彼女は、そのビルのオーナーなんだ」
誰が行っても契約を取れないなら、
どうして新聞を取ってくれないか聞いてみよう。
私は、なぜか、そう思って、
その女性を訪ねてみることにしました。
募集要項の「月収40-50万円も可能」という項目を、
鵜呑みにしていたので「ヨシ!」と、
張り切って出かけました。
行ってみると、
そのビルの4階はオーナーの自宅になっていて、
その一室で教室をしていることが分りました。
外から見ても、玄関の建具や飾りはかなり豪華で、
きっと金持ちなんだろうなと思いました。
私は、チャイムを押してインターホン越しに、
率直に、質問をぶつけました。
「どうして新聞を取ってくれないか、
教えてくれませんか?」
すると、お手伝いっぽい人が出てきて、
部屋へ通されたのですが、
そこは壁一面にどこかの宗教の祭壇のようなものがあって、
「そのまま待つように」と、言われました。
その祭壇の前で、
30分くらいだったか、
正座をして待っていると、
おもむろに、扉が開きました。
女性オーナーが現れたのです。
まるで、どこかの教祖のような格好の人でした。
そして、いきなりこう切り出してきたのです。
「色々あったんでしょ?」
そう言われて、なぜか、胸にグッときました。
もしかしたら、涙もにじんでいたかもしれません。
そして、私は気持ちを押さえ込めなくなってしまったのです。
聞かれてもいないのに、私は、
どうして田舎から逃げ出して
新聞の営業をすることになったのか、
全ての身の上を話しました。
彼女は話を聞き終えると、
こういいました。
「あなたが正座をして待っている様子を
ビデオで見ていました。
今の、あなたの話にウソはない。
新聞の勧誘なんて仕事は、
あなたがやる事ではないから、
今すぐお辞めなさい。
これから1年間、
私が新聞を取ってあげたら、
会社も許してくれるでしょう。
あなたには、もっと他に、
なすべき仕事があるはずです」
そういって、女性オーナーは、本当に、
読売新聞を1年間取ってくれることになったのです。
そして、私は、彼女の言うとおり、なぜか、
その1日だけで読売新聞を辞めてしまいました。
この人は神がかりな人かもしれないと素直に思ったのです。
さらに、不動産会社の人を紹介してくれて、
アパートの保証人にもなってくれたので、
住む場所も確保することができました。
かといって、
私は宗教に勧誘されることもありませんでした。
女性オーナーの行為は、
本当に純粋な親切だったのです。
私は、住民票を移せたので、
これで、札幌に仕事が見つけられるだろうとホッとしました。
ちなみに、遅くなったけれどお礼を言いたいと思って、
それから10年後にその女性オーナーに会いに行きました。
しかし、すでに彼女は亡くなっていて、
家もありませんでした。
妻のノンちゃんと一緒に3日間探したのですが、
結局、何の手がかりもありません。
今でも、すごく後悔が残っています。
「いやー、もっと早く言えば良かった。
もっと早くにお礼を言えれば良かった」
隣にあった読売の建物も、
女性オーナーの4階建ての建物も両方、
跡形もなく消えていています。
神隠しではありませんが、
本当に不思議な感じがしました。
あの女性との出逢いをきっかけに、
仕事も見つけられましたし、
人生が良くなって行ったので、
彼女は本当に人生の恩人です。
<つづく>
次回はこちら。
アホのチャンピオンベルト第11ラウンド~「あなたから買うなら値段は関係ないよね」
愛笑コメント
======
中1の時のUFOといい、
私の人生にはなぜか、
不思議なことが起こります。
「涙のアホベルトへの道のり」
////////////////////////////////////////
<10日ぶりのお風呂は極楽>
とにかく仕事を見つけようと思った私は、
ゴミ箱に捨てられている新聞を拾ってきて、
仕事探しを始めました。
そして、選んだのが衛生器具の取り付け会社でした。
酪農をしている農家のポットントイレの
換気口を変える仕事です。
1月8日、面接に行った私は、
ひげぼうぼうで臭い体臭を出しまくっていましたが、
担当者は何も言わずに採用してくれました。
住民票がない私を何も聞かずに採用してくれて、
しかも、寮とお風呂があるなんて、
「なんて幸運なんだろう」と思いました。
そして、お布団をもらって寮に案内されました。
「ここだから」といわれた所は、
仕切りの無い部屋に、
30人ぐらいがごろ寝をして暮している場所でしたが、
私にとってはとてもありがたかったです。
そして、10日ぶりのお風呂。
「極楽だ~ 最高だ~」と思いました。
あがってみると、身体を拭くタオルも
替えのパンツもありませんでしたが、
パンツはお風呂で洗って何とか済ませました。
そして、部屋に戻ってきたのですが、
ちょうど、会社の先輩達がポツリポツリと、
戻ってきるところでした。
挨拶をしようと思って、
目を凝らしてみてハッとしました。
「普通じゃない」
人相や格好がおかしい。
暴力団みたいな感じの人たちばかりなのです。
「一体、どんな仕事するのかな」と思いました。
<札幌の衛生局から来ました>
翌日は、ナンバーワンセールスマンに同行して、
仕事を覚えることになりました。
それが、実は詐欺商法だったのです。
まずは、札幌市郊外の酪農をしているお宅を訪問、
こんなウソを言って安心させます。
「札幌の衛生局から来ました」
「トイレに雨漏りの水が溜まりませんか?」
そして、点検をするといいながら、
点検している振りをして換気扇を壊します。
次に、「簡単な部品の取替えで雨漏りは大丈夫。
8000円で出来る」とか甘いことを言って、
結局は30万円のローンを組ませるのです。
私は、目の前で繰り広げられる光景を横から見ながら、
罪悪感で一杯になってしまいました。
泥まみれになりながら一生懸命働いている、
おじさん、おばさんを言葉巧みに騙すのです。
「一瞬でも早く帰りたい」
この姿を、お世話になった友人たちや家族に見られたらと、
思うだけで怖かったですし、騙されてローンを組んだ方に
申し訳なくてたまりませんでした。
私は、その日の夕方、会社にもどると、
そのまま、お風呂にも入らず、
荷物をまとめて辞めて来ました。
「私には出来ません。ごめんなさい。合いません」
誰も何も言いませんでした。
会社を出て、夕暮れの冷たい風の中を歩きながら、
「また、今日から車で寝るんだ」と思うと
無性に悲しかったです。
「田舎の人間が札幌に来ても、
まともな、仕事にはつけないんだな」
生まれて初めて、
お金が沢山欲しいと思いました。
<神がかりな女性オーナー>
その翌日、また、色々と仕事を探しているうちに、
今度は読売新聞の営業に採用されることになりました。
カプセルホテルで拾った新聞の募集広告を見て応募したのです。
採用が決まってホッとしている私に、
その販売店の社長はこんな事を言いました。
「この隣にある4階建てのビルの4階で
お花と着付けの教室をやっている女性がいるんだけれど、
誰が勧誘に行っても断られるんだよ。
彼女は、そのビルのオーナーなんだ」
誰が行っても契約を取れないなら、
どうして新聞を取ってくれないか聞いてみよう。
私は、なぜか、そう思って、
その女性を訪ねてみることにしました。
募集要項の「月収40-50万円も可能」という項目を、
鵜呑みにしていたので「ヨシ!」と、
張り切って出かけました。
行ってみると、
そのビルの4階はオーナーの自宅になっていて、
その一室で教室をしていることが分りました。
外から見ても、玄関の建具や飾りはかなり豪華で、
きっと金持ちなんだろうなと思いました。
私は、チャイムを押してインターホン越しに、
率直に、質問をぶつけました。
「どうして新聞を取ってくれないか、
教えてくれませんか?」
すると、お手伝いっぽい人が出てきて、
部屋へ通されたのですが、
そこは壁一面にどこかの宗教の祭壇のようなものがあって、
「そのまま待つように」と、言われました。
その祭壇の前で、
30分くらいだったか、
正座をして待っていると、
おもむろに、扉が開きました。
女性オーナーが現れたのです。
まるで、どこかの教祖のような格好の人でした。
そして、いきなりこう切り出してきたのです。
「色々あったんでしょ?」
そう言われて、なぜか、胸にグッときました。
もしかしたら、涙もにじんでいたかもしれません。
そして、私は気持ちを押さえ込めなくなってしまったのです。
聞かれてもいないのに、私は、
どうして田舎から逃げ出して
新聞の営業をすることになったのか、
全ての身の上を話しました。
彼女は話を聞き終えると、
こういいました。
「あなたが正座をして待っている様子を
ビデオで見ていました。
今の、あなたの話にウソはない。
新聞の勧誘なんて仕事は、
あなたがやる事ではないから、
今すぐお辞めなさい。
これから1年間、
私が新聞を取ってあげたら、
会社も許してくれるでしょう。
あなたには、もっと他に、
なすべき仕事があるはずです」
そういって、女性オーナーは、本当に、
読売新聞を1年間取ってくれることになったのです。
そして、私は、彼女の言うとおり、なぜか、
その1日だけで読売新聞を辞めてしまいました。
この人は神がかりな人かもしれないと素直に思ったのです。
さらに、不動産会社の人を紹介してくれて、
アパートの保証人にもなってくれたので、
住む場所も確保することができました。
かといって、
私は宗教に勧誘されることもありませんでした。
女性オーナーの行為は、
本当に純粋な親切だったのです。
私は、住民票を移せたので、
これで、札幌に仕事が見つけられるだろうとホッとしました。
ちなみに、遅くなったけれどお礼を言いたいと思って、
それから10年後にその女性オーナーに会いに行きました。
しかし、すでに彼女は亡くなっていて、
家もありませんでした。
妻のノンちゃんと一緒に3日間探したのですが、
結局、何の手がかりもありません。
今でも、すごく後悔が残っています。
「いやー、もっと早く言えば良かった。
もっと早くにお礼を言えれば良かった」
隣にあった読売の建物も、
女性オーナーの4階建ての建物も両方、
跡形もなく消えていています。
神隠しではありませんが、
本当に不思議な感じがしました。
あの女性との出逢いをきっかけに、
仕事も見つけられましたし、
人生が良くなって行ったので、
彼女は本当に人生の恩人です。
<つづく>
次回はこちら。
アホのチャンピオンベルト第11ラウンド~「あなたから買うなら値段は関係ないよね」
愛笑コメント
======
中1の時のUFOといい、
私の人生にはなぜか、
不思議なことが起こります。
みのりの愛笑が歩んだ
「涙のアホベルトへの道のり」
////////////////////////////////////////

― 116円 ―
1984年の年末を、
28歳の私は「死のう、死のう」と思いながら、
車の中で過ごしていました。
手持ちのお金が116円しかなかったので、
外の気温は氷点下になっていましたが、
エンジンをかけることも出来ませんでした。
そこは、街外れの普段は誰も来ない山の中で、
遠くに波の音が聞こえました。
頭の中は、とにかく自殺のことで一杯です。
「(私を騙した人が)見える所で首を吊って
せめてもの仕返しをしたい」
そんな、会社をだまし取られた
悔しい気持ちもありました。
本当に、やけくそでした。
それでも、
最後にもう一度だけでも
妻と電話で話をしたくて、
寒さに震えながら、
最後の116円を
私は握り締めていたのです。
電話のダイヤルは、
山の中に来る前に、
何度も回してもみましたが、
つながることはありませんでした。
31日になると、空腹もきつくなり、
お腹がグーグーと鳴りました。
「今日は、大晦日か。
みんな、旨いもの食べているんだろうな」
そんな事を思いながら、
のどが渇くと雪や氷を舐めて過ごしました。
夜になっても、
寂しいのと悔しいのとで、
いつまでも、眠ることが出来ません。
「一人で死のうか、いや、
どうせなら、復讐して死んでやる」
心は、ずっと定まらず、
行ったり来たりを繰り返していました。
このまま縁がなかったら
凍死してしまうかもしれない。
「それもありだな…」
そんな感じでした。
今思えばよく生きていたなと思います。
― 札幌に行けば… ―
明けて1984年の元旦。
私は、自分が死ぬ前に、
妻と最後の連絡を取るべく、
共通の友人を訪ねることにしました。
正直な気持ちだけは、どうしても、
伝えておきたかったのです。
事情を話すと、
彼女は驚きながらも協力を約束し、
今すぐ、結論は出すなといいました。
そして、返さなくていいからといって、
当面の生活費を私に貸してくれたのです。
「私も頑張ってみるから希望を棄てないで」
結局、すぐには、
妻との連絡は取れませんでした。
それでも、彼女の親切や、
涙を流して同情してくれたことに
応えたいという気持ちもあって、私は、
もう少しだけ頑張ってみることにしました。
「きっと、妻子もいつかは必ず、
帰ってきてくれるだろう」
でも、今は、全てを失い、
このみじめな変わり果てた姿を、
この街でさらす事はできません。
そんな事を考えながら、
私は、街を出ることにしました。
「札幌に行けば、
きっと何かが変わる」
― とんでもない臭い生活 ―
札幌に着くと、
正月休みの街は、
福袋や初売りの品を買う親子連れで、
ガヤガヤと賑わっていました。
私は、駅のトイレで顔を洗うと、
ゴミ箱に捨ててある新聞を拾い集めて、
仕事を探すことにしました。
少しでもお金を節約しようと思ったのです。
そして、仕事始めまでの3日間は、
人通りのない豊平川の川ぶちや、
公園なんかに車を止めて寝泊りをしていました。
毎日、ジャンバーにまるまって寝ていたのですが、
よく死ななかったと思います。
そして、ついに1月4日の仕事初めを迎えました。
私は、新聞でチェックしていた、
住み込みで、お風呂があって、
住民票が無くても採用してもらえそうな、
会社の仕事を探し始めました。
すでに10日以上、
お風呂には入っていませんでした。
とんでもない臭い数日間でしたが、
心には決意を秘めていました。
「もう一度、立ち直ってみせる」
しかし、私が入った会社は、
実は、とんでもない所だったのです。
<つづく>
(次回はこちらの内容をお届けします)
「入社月から日本一の電話加入権営業マンになる」
愛笑コメント
=====
人生って、本当に分りませんよね。
「涙のアホベルトへの道のり」
////////////////////////////////////////

― 116円 ―
1984年の年末を、
28歳の私は「死のう、死のう」と思いながら、
車の中で過ごしていました。
手持ちのお金が116円しかなかったので、
外の気温は氷点下になっていましたが、
エンジンをかけることも出来ませんでした。
そこは、街外れの普段は誰も来ない山の中で、
遠くに波の音が聞こえました。
頭の中は、とにかく自殺のことで一杯です。
「(私を騙した人が)見える所で首を吊って
せめてもの仕返しをしたい」
そんな、会社をだまし取られた
悔しい気持ちもありました。
本当に、やけくそでした。
それでも、
最後にもう一度だけでも
妻と電話で話をしたくて、
寒さに震えながら、
最後の116円を
私は握り締めていたのです。
電話のダイヤルは、
山の中に来る前に、
何度も回してもみましたが、
つながることはありませんでした。
31日になると、空腹もきつくなり、
お腹がグーグーと鳴りました。
「今日は、大晦日か。
みんな、旨いもの食べているんだろうな」
そんな事を思いながら、
のどが渇くと雪や氷を舐めて過ごしました。
夜になっても、
寂しいのと悔しいのとで、
いつまでも、眠ることが出来ません。
「一人で死のうか、いや、
どうせなら、復讐して死んでやる」
心は、ずっと定まらず、
行ったり来たりを繰り返していました。
このまま縁がなかったら
凍死してしまうかもしれない。
「それもありだな…」
そんな感じでした。
今思えばよく生きていたなと思います。
― 札幌に行けば… ―
明けて1984年の元旦。
私は、自分が死ぬ前に、
妻と最後の連絡を取るべく、
共通の友人を訪ねることにしました。
正直な気持ちだけは、どうしても、
伝えておきたかったのです。
事情を話すと、
彼女は驚きながらも協力を約束し、
今すぐ、結論は出すなといいました。
そして、返さなくていいからといって、
当面の生活費を私に貸してくれたのです。
「私も頑張ってみるから希望を棄てないで」
結局、すぐには、
妻との連絡は取れませんでした。
それでも、彼女の親切や、
涙を流して同情してくれたことに
応えたいという気持ちもあって、私は、
もう少しだけ頑張ってみることにしました。
「きっと、妻子もいつかは必ず、
帰ってきてくれるだろう」
でも、今は、全てを失い、
このみじめな変わり果てた姿を、
この街でさらす事はできません。
そんな事を考えながら、
私は、街を出ることにしました。
「札幌に行けば、
きっと何かが変わる」
― とんでもない臭い生活 ―
札幌に着くと、
正月休みの街は、
福袋や初売りの品を買う親子連れで、
ガヤガヤと賑わっていました。
私は、駅のトイレで顔を洗うと、
ゴミ箱に捨ててある新聞を拾い集めて、
仕事を探すことにしました。
少しでもお金を節約しようと思ったのです。
そして、仕事始めまでの3日間は、
人通りのない豊平川の川ぶちや、
公園なんかに車を止めて寝泊りをしていました。
毎日、ジャンバーにまるまって寝ていたのですが、
よく死ななかったと思います。
そして、ついに1月4日の仕事初めを迎えました。
私は、新聞でチェックしていた、
住み込みで、お風呂があって、
住民票が無くても採用してもらえそうな、
会社の仕事を探し始めました。
すでに10日以上、
お風呂には入っていませんでした。
とんでもない臭い数日間でしたが、
心には決意を秘めていました。
「もう一度、立ち直ってみせる」
しかし、私が入った会社は、
実は、とんでもない所だったのです。
<つづく>
(次回はこちらの内容をお届けします)
「入社月から日本一の電話加入権営業マンになる」
愛笑コメント
=====
人生って、本当に分りませんよね。
「アホの妻のチャンピオンベルト~特別編」
///////////////////////////////////////
あらためまして、
いつもラーメンみのりのメルマガをご覧下さり、
本当に、ありがとうございます。
私をはじめ、スタッフ一同、
みなさまからのご感想を、
とても楽しみに、毎回、
拝見させていただいております。
沢山の励ましや勇気を頂き、
心から感謝申し上げます。

今回は、いつもと趣向を変えて、
私から見た石崎(大将)との出逢い、
そして、「みのり」がオープンする
物語をご紹介させて頂きます。
私が大将と出会ったのは、
1994年1月3日。
新札幌のホテルのロビーが初めての場所でした。
あれから16年が経ちましたが、
結婚生活を振り返ってみると、
大将には、ずっと、
一つだけ大きな不満があります。
でも、すごく優しい人なんです。
そして、最近になって、
私の気持ちが少し変化してきました。
さて、私たちの出逢いは、
実は、お見合いでした。
手配師のおばさんから大将の写真を見せてもらい、
神妙な表情でこちらを見つめる緊張した姿から、
最初、私は素朴で頼りがいがある人なんだろうと、
勝手に想像していました。
誰か、一緒にいられる人を
ずっと探していたのです。
当時、私の年齢は、
30代で、毛皮の販売をする会社で
事務の仕事をしていました。
けれども、
仕事にも生活自体にも満足できない日々。
「結婚をして、まったく違う世界に行きたい」
毎日、そんな事を考えていました。
会社では、
年上の同僚から、
プライベートな事をネチネチと
聞かれたりする事に、
少し疲れていました。
そんな、私でしたが、
将来には夢がありました。
「小さくても持ち家に住めて、
生活が安定していて、
親を大事にしてくれる人と
結婚をしたい」
そんな私に、
手配師のおばさんはこういいました。
「アワビの養殖の仕事をしていて、
しっかりした人だよ」
それを聞いた私は、
無邪気に考えていました。
「これで、きっと夢が叶うんだ」
私にとっての白馬の騎士が、
大将だったのです。
そして、私達はホテルのロビーでご対面。
「想像より老けているなあ。
見た目もパッとしないし…」
それが、第一印象でした。
「でも、お付き合いしながら好きになればいい」
そんな風に、自分を励ましたりしていました。
「何とかなりそうかな、どうだろう?」
そう思っていた私の背中を、
両親は「立派な人だね」と後押してくれました。
それから、約3ヶ月でスピード入籍。
一緒に暮らし始めた最初のうちは、
お庭のある大きなお家に住むことが出来、
将来の期待も膨らんでいました。
「これから人生が良くなっていくはず…」
ところが、しばらくすると、
アワビの会社の業績が悪くなってきたことから、
生活の雲行きが怪しくなってきたのです。
収入もガタンと減ったので、
私たちは団地に引越し、
セカセカとした暮らしをすることになりました。
「私は、この人しかいないんだから、
頑張ってついていかなきゃ」
そう、思いながらも、
何だかとても辛くて、
ストレスで体調を崩したりしていていました。
そうこうしているうちに、
アワビの会社が倒産。
私たちは、カニの卸をやるか、
知り合いのつてでラーメン店をやるか、
どちらかを選択することになりました。
その時には、生活のためには私も働かなきゃいけないと、
私も覚悟を決めていました。
結局、カニの仕事は安定していないので、
知り合いがやっているラーメン店に
私たちは修行に入ることにしました。
当別にあったその店の社長さんは、
顔も身体もゴリラみたいに迫力がある、
本当に怖い人でした。
気に入らないことがあると、
しょっちゅう、
中華鍋や、
熱湯のついたさいばしで、
従業員を叩いたり、
お客さんの前で、
口汚く怒鳴ることもありました。
とくに、社長は、
なぜか大将のことが気に入らないらしく、
感情を爆発されることが沢山ありました。
「ブタは邪魔なんだよ!」
私から見た大将は、
社長よりも仕事が出来て、
従業員からも慕われていました。
それが、きっと
気に入らなかったんだと思います。
あと、理由もないのに、
お客さまに土下座させられたこともありました。
あの光景は、
一生忘れられません。
大将の背中を見ながら、
私は、恐くて、
何も出来ませんでした。
悲しくて、悲しくて、
泣きながらまかないのラーメンを
すすったのを覚えています。
あれは、テールスープを試食した日でした。
私は、その社長が憎たらしくて、
嫌でしょうがありませんでした。
それでも、大将は、
どんなに嫌なことがあっても、
自分より弱い人に当り散らすようなことはありませんでした。
私には、とても出来ません。
すごい人なんだなと思いました。
ところが、
そんな事があっても耐えていた私たちに、
ある日、いい報せがありました。
千歳に店を出して、
ゆくゆくは任せてくれる
というのです。
私たちは涙を流して喜びました。
「自分たちの店が持てる」
それからは、365日、
身体がバラバラになるくらい、
毎日、仕事を頑張りました。
そうこうするうちに、
千歳に出したその店は、
本店を上回るほどの繁盛店になりました。
私達は、どんなに身体が疲れても、
自分達の店に夢を膨らませていました。
そんなある日、
とんでもない出来事が起こりました。
社長が、私たちを
突然、店から追い出してしまったのです。
その日、いつも通りに
午前8時に出勤した私たちでしたが、
社長が先に店にいて、
いきなり怒鳴りつけてきたのです。
「遅刻しやがってけしからん!
出て行け!破門だ!」
そういって、
社長が二の腕をまくりあげると、
びっしりと刺青が入っていて、
私たちは言葉を失ってしまいました。
完全ないいがかりでした。
しかし、どうすることもできす、
来た道を2人でトボトボ引き返してきたのです。
突然の事で、
本当にびっくりしましたが、
冷静になってみると、
あれだけ大将にひどい事をした人ですから、
縁が切れてかえってせいせいしました。
「あんな奴の顔を2度と見ないですむわ!」
それなのに、大将は、
あまり怒った様子もなく、
お気楽な様子。
「お世話にも沢山なったじゃないか」
社長の予想では、
千歳の店が本店を上回るほど
繁盛をするなんて、
ぜんぜん考えていなかったようです。
こうして、私達は、またもや
突然、路頭に迷ってしまいました。
その時には、もう、どうやって、
生活していこうか考えるのが精一杯で、
夢どころの騒ぎではありませんでした。
そして、どうするか考えていたのですが、
心の中では大将も、私も、こう考えていました。
「もう、私達には、
ラーメンしかない」
でも、どうしたら自分たちで
お店をオープンできるんだろう…。
そうすると、
ありがたいことに、
お店の常連さんや、
友人、仕入先さんなどの色んな方が
応援して下さることになり、
自分たちの店をオープンできることになったのです。
そして、1995年1月24日、
千歳市自由が丘という場所で
私たちは店を始めさせて頂きました。
店名は、「道裕」(みちひろ)の「道」と、
「紀子」(のりこ)の「のり」を合わせて
「道のり」(みのり)と名づけさせて頂きました。
「みちのり」ではなく「みのり」と読みます。
「まだまだ、美味しいラーメンを
つくれない私たちだけど、
一歩ずつ一歩ずつ進んでいこう」
そんな事を話しながら店名を決めました。
そして、本当に休み無く、
スープの仕込みから営業、
翌日の準備と後片付けで、
朝の5時から夜の12時まで
365日働きました。
お店は、自衛隊さんや、
地域の方々にご愛顧頂き、
おかげさまで、
にぎやかな毎日。
そして、7年後の2002年、
7月22日、自由が丘から、
現在の36号線沿いに移転したときに、
「道のり」を「みのり」と、
変更させていただいたのです。
振り返ってみると、
色んな事がありましたが、
中でも、大将には腰のヘルニアがあって、
ずっと辛かったと思います。
厨房にダンボールを敷いて
ショックを和らげたり、
靴のつま先を切り落とすような工夫をして
頑張っていました。
横で見ていて心配になりましたが、
泣き言は、殆ど聞いた事がありません。
あと、これまで、
大将がしてくれたことで、
一番嬉しかったのは、
私が乳がんになった時に、
一生懸命はげましてくれたことです。
「やばいかな…」
そう、考えつつも実際に乳がんの診断を受けたとき、
私は、本当に怖くて、不安で一杯でした。
当時は、今のように、
再発も無く完治する人は、
まだ、少なかったのです。
病院の廊下に張ってある
誘導テープの上をフラフラと、
真っ直ぐ歩けないくらい意識が
もうろうとしたのを覚えています。
「せっかく私を選んでくれたのに、
全摘になってごめんね」
大将には、そんな手紙を書いたのを
覚えています。
そして、明日、手術というその日の夜。
小さな川に面していた私の病室に
パッと光が入ってきてパパパンと音が鳴りました。
窓に近づいて見ると、
大将が向こう岸で花火を
次から次にあげているのです。
私は、思わず窓を開けました。
「絶対に大丈夫だよ。
心配ないよ。
俺がついているから!」
大将が涙ながらに声を張り上げていました。
あの時には、本当に勇気が出て嬉しかったです。
あと、一つだけある不満については、
どうしても言いたいのですが、
長くなってしまうので、
それは、また、
いつかご紹介したいと思います。
みなさんもご存知のように、
大将は、年だけはとっていても、
子供みたいな人ですので、
ご迷惑をおかけすることもあると思いますが、
どうぞ、ご容赦下さいませ。
あと、何かお気づきになられた時には、
色々とご指導下さいませ。
ご来店下さった時には、
元気なるラーメンを精一杯
お作りさせていただきます。
石崎紀子
愛笑コメント
///////////////
今回、妻の気持ちで
初めて分ったことがたくさんあって、
びっくりしました。
次回は、また、私の物語を中心に、
お届けさせて頂きます。
第9ラウンドはこちら
///////////////////////////////////////
あらためまして、
いつもラーメンみのりのメルマガをご覧下さり、
本当に、ありがとうございます。
私をはじめ、スタッフ一同、
みなさまからのご感想を、
とても楽しみに、毎回、
拝見させていただいております。
沢山の励ましや勇気を頂き、
心から感謝申し上げます。

今回は、いつもと趣向を変えて、
私から見た石崎(大将)との出逢い、
そして、「みのり」がオープンする
物語をご紹介させて頂きます。
私が大将と出会ったのは、
1994年1月3日。
新札幌のホテルのロビーが初めての場所でした。
あれから16年が経ちましたが、
結婚生活を振り返ってみると、
大将には、ずっと、
一つだけ大きな不満があります。
でも、すごく優しい人なんです。
そして、最近になって、
私の気持ちが少し変化してきました。
さて、私たちの出逢いは、
実は、お見合いでした。
手配師のおばさんから大将の写真を見せてもらい、
神妙な表情でこちらを見つめる緊張した姿から、
最初、私は素朴で頼りがいがある人なんだろうと、
勝手に想像していました。
誰か、一緒にいられる人を
ずっと探していたのです。
当時、私の年齢は、
30代で、毛皮の販売をする会社で
事務の仕事をしていました。
けれども、
仕事にも生活自体にも満足できない日々。
「結婚をして、まったく違う世界に行きたい」
毎日、そんな事を考えていました。
会社では、
年上の同僚から、
プライベートな事をネチネチと
聞かれたりする事に、
少し疲れていました。
そんな、私でしたが、
将来には夢がありました。
「小さくても持ち家に住めて、
生活が安定していて、
親を大事にしてくれる人と
結婚をしたい」
そんな私に、
手配師のおばさんはこういいました。
「アワビの養殖の仕事をしていて、
しっかりした人だよ」
それを聞いた私は、
無邪気に考えていました。
「これで、きっと夢が叶うんだ」
私にとっての白馬の騎士が、
大将だったのです。
そして、私達はホテルのロビーでご対面。
「想像より老けているなあ。
見た目もパッとしないし…」
それが、第一印象でした。
「でも、お付き合いしながら好きになればいい」
そんな風に、自分を励ましたりしていました。
「何とかなりそうかな、どうだろう?」
そう思っていた私の背中を、
両親は「立派な人だね」と後押してくれました。
それから、約3ヶ月でスピード入籍。
一緒に暮らし始めた最初のうちは、
お庭のある大きなお家に住むことが出来、
将来の期待も膨らんでいました。
「これから人生が良くなっていくはず…」
ところが、しばらくすると、
アワビの会社の業績が悪くなってきたことから、
生活の雲行きが怪しくなってきたのです。
収入もガタンと減ったので、
私たちは団地に引越し、
セカセカとした暮らしをすることになりました。
「私は、この人しかいないんだから、
頑張ってついていかなきゃ」
そう、思いながらも、
何だかとても辛くて、
ストレスで体調を崩したりしていていました。
そうこうしているうちに、
アワビの会社が倒産。
私たちは、カニの卸をやるか、
知り合いのつてでラーメン店をやるか、
どちらかを選択することになりました。
その時には、生活のためには私も働かなきゃいけないと、
私も覚悟を決めていました。
結局、カニの仕事は安定していないので、
知り合いがやっているラーメン店に
私たちは修行に入ることにしました。
当別にあったその店の社長さんは、
顔も身体もゴリラみたいに迫力がある、
本当に怖い人でした。
気に入らないことがあると、
しょっちゅう、
中華鍋や、
熱湯のついたさいばしで、
従業員を叩いたり、
お客さんの前で、
口汚く怒鳴ることもありました。
とくに、社長は、
なぜか大将のことが気に入らないらしく、
感情を爆発されることが沢山ありました。
「ブタは邪魔なんだよ!」
私から見た大将は、
社長よりも仕事が出来て、
従業員からも慕われていました。
それが、きっと
気に入らなかったんだと思います。
あと、理由もないのに、
お客さまに土下座させられたこともありました。
あの光景は、
一生忘れられません。
大将の背中を見ながら、
私は、恐くて、
何も出来ませんでした。
悲しくて、悲しくて、
泣きながらまかないのラーメンを
すすったのを覚えています。
あれは、テールスープを試食した日でした。
私は、その社長が憎たらしくて、
嫌でしょうがありませんでした。
それでも、大将は、
どんなに嫌なことがあっても、
自分より弱い人に当り散らすようなことはありませんでした。
私には、とても出来ません。
すごい人なんだなと思いました。
ところが、
そんな事があっても耐えていた私たちに、
ある日、いい報せがありました。
千歳に店を出して、
ゆくゆくは任せてくれる
というのです。
私たちは涙を流して喜びました。
「自分たちの店が持てる」
それからは、365日、
身体がバラバラになるくらい、
毎日、仕事を頑張りました。
そうこうするうちに、
千歳に出したその店は、
本店を上回るほどの繁盛店になりました。
私達は、どんなに身体が疲れても、
自分達の店に夢を膨らませていました。
そんなある日、
とんでもない出来事が起こりました。
社長が、私たちを
突然、店から追い出してしまったのです。
その日、いつも通りに
午前8時に出勤した私たちでしたが、
社長が先に店にいて、
いきなり怒鳴りつけてきたのです。
「遅刻しやがってけしからん!
出て行け!破門だ!」
そういって、
社長が二の腕をまくりあげると、
びっしりと刺青が入っていて、
私たちは言葉を失ってしまいました。
完全ないいがかりでした。
しかし、どうすることもできす、
来た道を2人でトボトボ引き返してきたのです。
突然の事で、
本当にびっくりしましたが、
冷静になってみると、
あれだけ大将にひどい事をした人ですから、
縁が切れてかえってせいせいしました。
「あんな奴の顔を2度と見ないですむわ!」
それなのに、大将は、
あまり怒った様子もなく、
お気楽な様子。
「お世話にも沢山なったじゃないか」
社長の予想では、
千歳の店が本店を上回るほど
繁盛をするなんて、
ぜんぜん考えていなかったようです。
こうして、私達は、またもや
突然、路頭に迷ってしまいました。
その時には、もう、どうやって、
生活していこうか考えるのが精一杯で、
夢どころの騒ぎではありませんでした。
そして、どうするか考えていたのですが、
心の中では大将も、私も、こう考えていました。
「もう、私達には、
ラーメンしかない」
でも、どうしたら自分たちで
お店をオープンできるんだろう…。
そうすると、
ありがたいことに、
お店の常連さんや、
友人、仕入先さんなどの色んな方が
応援して下さることになり、
自分たちの店をオープンできることになったのです。
そして、1995年1月24日、
千歳市自由が丘という場所で
私たちは店を始めさせて頂きました。
店名は、「道裕」(みちひろ)の「道」と、
「紀子」(のりこ)の「のり」を合わせて
「道のり」(みのり)と名づけさせて頂きました。
「みちのり」ではなく「みのり」と読みます。
「まだまだ、美味しいラーメンを
つくれない私たちだけど、
一歩ずつ一歩ずつ進んでいこう」
そんな事を話しながら店名を決めました。
そして、本当に休み無く、
スープの仕込みから営業、
翌日の準備と後片付けで、
朝の5時から夜の12時まで
365日働きました。
お店は、自衛隊さんや、
地域の方々にご愛顧頂き、
おかげさまで、
にぎやかな毎日。
そして、7年後の2002年、
7月22日、自由が丘から、
現在の36号線沿いに移転したときに、
「道のり」を「みのり」と、
変更させていただいたのです。
振り返ってみると、
色んな事がありましたが、
中でも、大将には腰のヘルニアがあって、
ずっと辛かったと思います。
厨房にダンボールを敷いて
ショックを和らげたり、
靴のつま先を切り落とすような工夫をして
頑張っていました。
横で見ていて心配になりましたが、
泣き言は、殆ど聞いた事がありません。
あと、これまで、
大将がしてくれたことで、
一番嬉しかったのは、
私が乳がんになった時に、
一生懸命はげましてくれたことです。
「やばいかな…」
そう、考えつつも実際に乳がんの診断を受けたとき、
私は、本当に怖くて、不安で一杯でした。
当時は、今のように、
再発も無く完治する人は、
まだ、少なかったのです。
病院の廊下に張ってある
誘導テープの上をフラフラと、
真っ直ぐ歩けないくらい意識が
もうろうとしたのを覚えています。
「せっかく私を選んでくれたのに、
全摘になってごめんね」
大将には、そんな手紙を書いたのを
覚えています。
そして、明日、手術というその日の夜。
小さな川に面していた私の病室に
パッと光が入ってきてパパパンと音が鳴りました。
窓に近づいて見ると、
大将が向こう岸で花火を
次から次にあげているのです。
私は、思わず窓を開けました。
「絶対に大丈夫だよ。
心配ないよ。
俺がついているから!」
大将が涙ながらに声を張り上げていました。
あの時には、本当に勇気が出て嬉しかったです。
あと、一つだけある不満については、
どうしても言いたいのですが、
長くなってしまうので、
それは、また、
いつかご紹介したいと思います。
みなさんもご存知のように、
大将は、年だけはとっていても、
子供みたいな人ですので、
ご迷惑をおかけすることもあると思いますが、
どうぞ、ご容赦下さいませ。
あと、何かお気づきになられた時には、
色々とご指導下さいませ。
ご来店下さった時には、
元気なるラーメンを精一杯
お作りさせていただきます。
石崎紀子
愛笑コメント
///////////////
今回、妻の気持ちで
初めて分ったことがたくさんあって、
びっくりしました。
次回は、また、私の物語を中心に、
お届けさせて頂きます。
第9ラウンドはこちら




