かわら版
今回は、
イスラエルでの体験を
どうしても、お伝えしたくて、
特別号を企画しました。
なぜ、
私のような千歳で小さなラーメン屋を
やっている親父が店を放ったらかして
イスラエルなのか?
不思議に思われた方も、
おられるかもしれませんね。
実は、私も、自分が行くなんて、
考えたこともありませんでした。
イスラエルに
親しみを持っている方にはごめんなさい。
その理由は、きっと、
若い頃にテレビ等で知った、
中東戦争の記憶が色濃く残っていたからかもしれません。
アホと戦争は相性が悪いのです。
そんな私でしたが、
三重県津市の赤塚建設株式会社の社長、
赤塚高仁さんにお誘い頂き、
今回、出かけることにしたのです。
赤塚さんといえば、
山元加津子先生の映画に
出演されておられるのでご存知の方も
いるかもしれません。
他にも、
沢山の頑張っている方々の
支援をしておられます。
その赤塚さんから、
「一緒に行こう」と誘われれば、
断る理由はありません。
そんな赤塚さんですが、
若い時には色々あって、
自殺未遂をしたことがあったそうです。
その時の気持ちは、
私にも分かるような気がします。
意識不明の状態から、
3日目に奇跡的に意識を回復し、
出逢ったのが生涯の師と仰ぐ糸川英夫博士でした。
博士は「日本の宇宙開発の父」と呼ばれる大科学者です。
その博士が、
赤塚さんにイエスキリストの生き方を紹介し、
それがきっかけで、彼は自分の人生をどう生きたいのかを、
知ることができたそうです。
二人の交友は、1999年に、
博士がこんな言葉を残して亡くなるまで続きました。
「日本とイスラエルの絆を深めなければならない」
こうして、赤塚さんは、
イエスの足跡を辿るイスラエルツアーを、
個人的に主催するようになったのです。
そんな事を考えているうちに、
五日市剛さんの伝説の小冊子
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」に出てきた、
イスラエルのおばあさんの話も思い出しました。
私は、あのおばあちゃんが大好きなのです。
「これは行くしかないな」
さて、
気分はどんどん前向きになってきた私ですが、
妻に相談するときには申し訳ない気持ちで一杯でした。
「毎度、アホなことばかりやりたがって、
ちっとも幸せに出来ずにゴメン!」
今回も妻は笑顔で私を送り出してくれました。
(イスラエルにて)
聖書の物語をたどる旅は、
イエスが歩いた道のりでした。
ゴルゴダの丘では、
イエスは処刑されるために、
1キロもの道のりを、
自分をはり付けにするための十字架を担いで、
歩いていったそうです。
70キロもの重みに耐えられず、
何度も倒れながら、
その度に立ち上がっていったとの事でした。
私たちが現地に行ったときには、
燃えるような日差しと灼熱の中で、
イエスは何のためにこの道を歩いたのだろうか?
そんなことを考えたりもしました。
今から、約2000年前の出来事です。
残念だったのは、
観光客相手に実物大のレプリカを用意して、
イエスのように十字架を背負いながら歩く
体験を売っている人がいたことです。
見ていて、
とても悲しい気持ちがしました。
4日目に訪れたマサダの丘では涙が止まりませんでした。
有名な死海のほとりにある、
地上400メートルの岩山の頂上に砦が築かれていて、
内部には宮殿やサウナ・大浴場もあり、
さながら都市のようになっています。
紀元66年、
ユダヤ人は支配者であるローマ帝国の侵攻に対して、
独立戦争を始めたものの、
圧倒的な兵力に押されて、
すぐに首都であるエルサレムを奪われ、
どんどんと追い詰められていきました。
そして、
最後に残った967人が、
この砦に立て篭もって
3年間の戦いを繰り広げたのです。
この戦いに敗れれば、
ユダヤの国が地上から消えてしまいます。
一方のローマ軍は15000人の兵士達がこの砦を囲み、
ユダヤ人の捕虜を人間の縦にして、
攻め寄せてきました。
立て篭もったユダヤ人たちは、
数年分の食料や水や武器を準備して戦いましたが、
ローマ軍の盾になっているのが
ユダヤ人の捕虜だということが分かると、
石を落としたり、
矢を放つことが出来なくなってしまいました。
「このまま敵の盾になっている味方を殺して戦っても、
いずれは、攻め滅ぼされてしまう。
しかし、敗れて奴隷になることよりも自ら死を選ぼう」
司令官エルアザー・ベン・ヤイールの指示で、
全員の自決が決定しました。
しかし、ユダヤ教の掟で自殺は禁じられています。
そこで、
まず、家長の男達が自分の家族全員を殺しました。
そして、生き残った男は10人ずつのグループに分かれて、
くじを引き、負けた一人が残りの9人を殺したのです。
そして、最後に残った一人だけが自殺をしました。
私たちは、まさに、
司令官が全員自決の指示を出した、
同じ部屋で、ガイドの榊原さんと、
赤塚さんからこのお話を聞きました。
私と同じような、
子供も女房もいる男達は、
どんな気持ちで家族を殺め、
そして、最後の殺人役となるくじを引いたのでしょうか?
自分なら家族が殺せるだろうか?
どんな理由があってもできません。
味方も殺せませんし、
家族も殺せません。
当時の人々の苦難を想い、
ただ、ただ滝のように涙が流れました。
ローマ軍が砦に突入したとき、
そこには無数の死体がそのまま放置されていたそうです。
その後、
ローマ帝国に対して、
各地で生き残ったユダヤ人による、
一時的な抵抗が一度だけ行われましたが、
イスラエルという国は地上から消え去り、
ユダヤ人はその後約1900年もの間、
世界中を放浪することになりました。
再びイスラエルが復活するのは、
1948年5月14日の
ベングリオンによる独立宣言の時です。
今でも、
イスラエル人の中には、
この砦で成人式を行う人が、
かなりいるそうです。
ちなみに、
男の子の成人式は13歳で行われます。
夕暮れからはじまる儀式の中で述べられる誓いの言葉には、
ズシンとお腹に響くものがありました。
「マサダを2度と繰り返さない」
紀元73年のローマ軍の突入時、
2人の女性と5人の子供たちが
貯水槽に隠れていたところを発見され、
この物語が後世に伝えられました。
なぜ、この7人だけが生き残ったのかは、
未だに謎とされています。
私はマサダからの帰り道、
自分の無力さや存在の小ささに震えていました。
世界中には、
私のように平和な国の平和な時代に生きている人がいる一方で、
こんなに大変な環境の中で生きていた人もいることを、
すんなりと、消化することが出来ずにいました。
マサダの訪問を終えてホテルに着くと、
チェックインが行列になっていて、
ロビーから人が溢れて大変な混雑になっていました。
あちこちで、
色んな国の子供たちが、
退屈したり、お腹を空かせて、
泣いたり、暴れたり…。
「これは自分の出番だ!」
私は、なぜかそう思って、
日本から持ってきたピエロの衣装で、
子供たちにマジックとペンシルバルーンを
披露することにしました。
言葉が分からないので
身振り手振りでおどけてみせながら、
満面の笑顔で頑張ります。
すると肌の色も言葉も違う子供たちが
後から、後からどんどんやってきて、
黒山の人だかりになってしまいました。
てんやわんやの忙しさだったのですが、
バルーンを手にした子供たちは、
みんなが笑顔になってくれるのです。
私は、またもや、
涙が止まらなくなりました。
そして、
ふと、日本から一緒に来た仲間達を見ると、
彼らも、なぜか涙を流しているのです。
さらには、さっきまでイラついていた
世界各国の親御さんたちも泣いていました。
つい3・4時間ほど前までは、
マサダの砦で960人が亡くなった話を聞いて、
ただ、ただ涙を流すばかりの私でした。
しかし、今度は違います。
「自分がアホをやって
子供たちを喜ばせることで、
言葉が分からなくても、
どんなに違う人生を生きてきても、
今日はみんなが一つになれた。
私は、きっと色んな人が心を一つにする
お手伝いをするために生まれてきたんだ。
それに、気づくために、
イスラエルに来たんだ。
一日も早く、世界中の全ての人に
平和が来て欲しい
私はアホで世界平和に貢献していきたい」
そんな事を思いながら、
残りの旅を楽しみ、
日本に帰ってきました。
赤塚さん、
ガイドの榊原さん、
一緒に旅したみんな、
本当に、ありがとうございました。
大将はこれから、
更なるアホを目指します!
<次回は「もう、二度と死のうなんて思わない」です>




