かわら版
こんな私でもこんな事が出来た。 ちょっとした事がきっかけで・・・
全国のみんなに沢山の勇気と感動を伝えに東京に行きます。
11月22日絶対来てください。
当日は、めっちゃ素晴らしいゲストの中にひとりポツンと浮いてる私がいます。思い切り伝えます。沢山人に聞いてもらいたいです。
本当に凄いイベントです。
2007年の秋からサンマーク出版が始めた
「生命(いのち)の輝き発見セミナー」。
「第1回」遺伝子の研究者・村上和雄さん
画家・大野勝彦さん
「第2回」ミリオンセラー『鏡の法則』著者・野口嘉則さん
「第3回」森のイスキア主宰・佐藤初女さん
絵本『いのちのまつり』著者・草場一壽さん
そして「第4回」。
今年はちょっとバージョンアップして開催いたします。
「09秋 生命の輝き発見セミナー 生き方見本市」
インターネット革命が起きて十数年あまり。
私たちを取り巻くコミュニケーションの環境は
想像以上に大きく変わりました。
とくに「時間」と「空間」の感覚的変化には
目を見張るものがあります。
でも……でもですね。やっぱり生身の人間は、人対人。
「人みな師」
という言葉があるように、
人から学ぶことはネットの比じゃないように思えます。
「生き方見本市」は堂々の7時間、人間力むき出しのライブ!
【テーマ】
「生命の誕生から死まで、いのちは、
始まりなき始まりから終わりなき終わりへと続いていく」
登場人物は以下の8人。
■「一歩を超える勇気」(基調講演)
ソロアルピニスト・栗城史多さん
(エベレストから帰国後、初の大講演会)
■産婦人科医・山縣威日さん
(生まれ来る生命の神秘とは?)
■てっぺん代表・大嶋啓介さん
(格好悪い挫折と失敗を語る)
■みのりの大将・石崎道裕さん
(自分の殻の破り方を知る)
■フルールさわ・田島和子さん
(植物との対話から学んだこと)
■「1/4の奇跡」監督・入江富美子さん
(40歳から世界となつがる方法)
■在宅医療専門医・川島孝一郎さん
(人間の看取りから見えてくるもの)
そして全体をコーディネイトするのは、
我らが「現代の語り部」中村文昭さん!
○開催日程 2009年11月22日(いい夫婦の日)
(開場)11:30 (開演)12:30
【第1部】12:45~14:00
【第2部】14:30~19:30(予定)
○会場
東京国際フォーラム B7
○参加費
一般の方 5000円
ご夫婦 2枚1組 8000円
学生 3000円
※ 未就学児は無料です。
お申し込みは、こちらまで。
☆「生命の輝き発見セミナー 生き方見本市」
http://www.sunmark.co.jp/seminar/mihonichi/
※出演者の動画メッセージもご覧になれます。
アホのチャンピオンベルト第3ラウンド<自殺を試みるも赤と緑のUFOに救われる>
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<前回までのあらすじ>
私は新冠の小さな漁村で幼少期を過ごしたのですが、
いつも近所の子供たちからいじめられていました。
家の中では父親が暇さえあれば酒を飲んで暴れており、
近所の人たちからは村八分状態で、
いつもひたすら泣いてばかりの少年時代を過ごしていました。
そんな私が中学に入ったある日の事、
父親が突然亡くなってしまったのです。
お通夜には、近所の人も、
同級生も誰一人焼香に現れませんでしたが、
親戚に混じって見知らぬ女性が会場の隅に座っていました。
なぜか、気になって「あれは誰なの?」と母に聞いてみると、
「お前の本当の母親だよ。お前は捨てられたんだ」と、
私は、突然、衝撃の事実を告げられたのでした。
死んだと思っていた父は、
実は私の祖父だったのです。
そして、母親だと思っていたのは、
私の祖母だったのでした。
私はいても立ってもいられなくなり、
その女性に「なぜ、自分を捨てたのか?」を聞こうとしたのですが、
既にその場から姿は無くなっていたのでした…。
<ここからが、今回の内容です>
祖父が死んでから、
私は、実の母に育ててもらえなかった寂しさや、
自分を捨てた理由を直接話してもらえなかったことへの疑問で、
毎日、悲しくて、苦しくて、またもや朝から晩まで
一人泣いて過ごしていました。
(それまでは母だと思っていた)祖母から言われた
「本当の母親はお前を育てるのを放棄したんだ」
という言葉が耳に焼きついて一瞬も離れることはありませんでした。
父の死から1週間の喪が明けた日の深夜、
初めてランチジャーのお弁当が
私のために用意されました。
それを見て
「ああ、これは船に乗れということなんだ」
と直感で分かりました。
漁は深夜から早朝にかけて行われます。
祖父のいない現在、私も、
働かなければならなくなったのです。
こうして、私は中学1年生にして船乗りになり、
漁師生活が始まりました。
しかし、船酔いがひどくてまったく仕事になりません。
役に立たないので、一緒に船にのっていた叔父からは
石や漁具で毎日ボコボコに殴られました。
叔父は口下手で、
教え方が分からないので、
何かにつけて私を殴るのです。
たとえば、単語で「アミタケ!」と言われます。
これは、
「網を船に積んで漁の用意をしろ」
という意味なのですが、
言葉より先に殴られるので、
次第に、頭より先に
身体が反応するようになりました。
いつしか、私はヘルメットを手放せなくなり、
船に乗っている間中、ブルブルと震えながら
仕事を覚えていきました。
漁が終わるのは早朝で、
陸に上がっても、
めまいがして歩けません。
学校に行っても起きていられないので、
益々孤立し、楽しみだったそろばんにも行けなくなりました。
その頃から、私は、枕の下に
包丁を入れて眠るようになりました。
「チャンスがあったら死のう」と思って、
果物包丁を秘かに買ってきていたのです。
「この包丁で心臓を一突きすれば一瞬で楽になれる」と、
暗闇の中、両手で包丁を逆さに持ったことが何度もありました。
母に捨てられ、
育ててもらえなかったために、
中学1年にして漁師になり、
みんなが遊んでいる時に仕事をして、
学校にも行けず、友達もおらず、
ただ、死ぬことだけを考えていました。
どうやったら楽に死ねるのだろうか…?
次第に学校にも行かなくなり、
一人で近くの山に登ってパンをかじりながら
学校を見つめる時間が増えていきました。
そうこうしているうちに、
ふと、本当の父親はどんな人だったんだろう?と
思うようになり、役所に行ったら、
やはり養子でした。
今になってみると思い出すのは怖いのですが、
戸籍を見せられて自分の本姓が「浦田」という
名前であることが分かりました。
「石崎」ではなく
「浦田」というのが
本当の名前だったのです。
私は、「浦田」という、
行方の知れない親の姓を示す2文字を
腹立たしい思いで見つめていました。
そして、次の瞬間、運動会や学芸会に
両親(だと思っていた祖父と祖母)が来なかったのは、
捨て子の親であることが恥ずかしかったんだと、
色んな記憶が、走馬灯のように
バチーン!とつながったのでした。
捨てられた自分に張り付いている
「浦田」という馴染みのない名前。
船酔い、殴られ、貧しく、村八分、友達もおらず、
全部、捨てられたせいだと思いました。
「なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだ?!」
でも、誰にも相談できずにいました。
心臓を一突きすれば何もかもが全部終わる…。
私は、益々、暗い少年になっていきました。
すると、それまでは余り話すことも無かった近所の人たちが、
私の姿が異様だったのか、慰めに来てくれるようになりました。
「お前は、おばちゃんが生後2ヶ月で引き取って
色んな工面をして育てたんだよ」
「じいちゃんも丹前の中に入れたり、
おばあちゃんもどこに行くのでも
優しく守ってくれていたんだよ。
だから、そんなに落ち込むんじゃない…」
しかし、その慰めは言われれば、言われる程、
逆に心は苦しくなりました。
母がいないという現実が余計大きくなり、
嫌が応にも自分に向き合わなくてはならなかったのです。
そして、何度も、包丁を逆手に持ったのですが、
結局は、死に切れませんでした。
希望も夢も無い、
絶望の毎日。
死ぬ勇気もない自分。
毎日を、無気力状態で過ごしていました。
家では、叔父が酒を飲んで愚痴ったり、奥さんと
喧嘩をしたりしていました。叔父は、外で喧嘩があると、
短刀を持って出かけることもありました。
それから、何日か後、天気が急変して海が時化(しけ)、
私は波に飲まれて船から落ちてしまいました。
その時、私は「かっぽれ」という、
魚のぬるぬるを取るための海水を汲むバケツを持って、
フラフラと甲板を歩いていたのです。
ドーン!と暗闇の海に落ちた瞬間、
スーッと波にさえぎられて船が見えなくなり、
私は暗闇に吸い込まれていきました。
荒れる海に溺れそうになりながら
「来るべき時が来た。
このまま自分は天国に行くんだな」
と思いました。
すると、ロープが飛んできて
バーン!と私の顔をひっぱたいたのです。
たまたま、船長が私が海におちるのを
見ていてくれたのでした。
そして、私は無意識のうちにロープをつかんで、
ひっぱりあげられたのです。
あんなに死のうと思っていたのに、
生きようとして手を伸ばしたことが
自分でも信じられませんでした。
ロープに手を伸ばさなかったら
死んでいたはずなのに、
なぜ、この苦しみが続くのに
生きようとしたんだろう…?
そんな事が、まだ、自分の中で消化できていなかった、
ある静かな夜、不思議な出来事に出会いました。
その時、私は甲板に出て星空を眺めていました。
これから漁場に向う船は、
おだやかに波の上を滑っています。
星を見ながら「何て綺麗なんだろう」と
私は我を忘れてしまっていました。
海で見る星空は、
街の明かりがないので
とっても綺麗に見えるのです。
その時、突然、緑と赤の光が目に入ってきました。
そして、何かを物語るかのように、
ピュッピュと飛んだのです。
「何だ?」
私は、びっくりして訳が分かりませんでした。
それでも、しばらくピュッピュッと赤と緑の光が
動いているのを見て「これはUFOだ!」と思ったのです。
「間違いない!
絶対に存在しないと思っていたのに、
ああ!本当にいるんだ!
俺を迎えにきたのかな?
さらわれるのかな?」
UFOを見ながら、
私は、何だか楽しい気持ちがしてきました。
陸に戻っても、
そのUFOの事が
私の頭から離れませんでした。
何かのメッセージを自分に伝えにきたんだと思いました。
そして、
「死ぬのはいつでも出来る。
生きていたら、なんか、
いいことあるんじゃないか」
と思ったのです。<つづく>
次回は祖母のつくってくれたカレーの美味しさに涙が出ました
<見知らぬ女性があらわれて出生の秘密を知らされる>
小学校に入っても、私の家は相変わらず貧しく、
白いごはんは食べられませんでした。
いつも、芋とかとうきびばかり食べていました。
お腹がすくと、よく飯場に残り物をもらいに行きました。
食べ物を恵んでもらうのは、当時、当たり前の事だと思っていました。
飯場のおばさんは、いつも何も聞かずに食べ物を与えてくれました。
私の家庭は沿岸漁業で、たこ、かに、かれい等を漁るのですが、
ぜんぜん漁れませんでした。ちなみに、さんまは遠洋漁業ですし、
ホッケは深海の魚なのでうちの船では漁ることができませんでした。
私はどんなに思い出しても、父がまともに船に乗っているのを見た記憶が
ありません。父は、毎日朝から晩までお酒を飲んでいました。
そして、お酒がなくなると機嫌が悪くなって
私に命令して酒を買いにいかせるのです。
お酒を買うお金がないので、母が、その都度、
泣く泣く自分の物を売って工面していました。
それでも、4号瓶(720ml)に満タン買えたことはなかったと思います。
たんすはいつも空っぽで、
父がチャブ台をひっくり返すことも家ではあたり前の出来事でした。
酒を飲んで母を殴ったりするのが嫌で「酒を辞めてくれ」と何度も父に
頼んだことを覚えています。
目の前で母が殴られるのは本当に悲しかったです。
「何で父は分かってくれないんだろう」と思っていました。
ある時、喧嘩がいやで、
焼酎を捨てて水を入れて帰ったことがあります。
すぐにバレて、その瓶で思いっきり殴られました。
そして、麻袋に入れられて玄関先に一晩中吊るされました。
泣いても、泣いても家に入れてもらえなくて、
石崎の家にはいたくないと思いました。
ただ、ただ、この家にはいたくないと思ったのです。
中学に入っても家は貧しく、友達も出来ず、
親父は酒ばかり飲んでいました。
ある時、音楽室で同級生とふざけてチョークを投げていたら
学校の太鼓が破れてしまいました。
学校から修理代を請求されたのですが、
父は「学校で起こったことは学校の責任だ」と
激怒して授業中に怒鳴り込んできたのです。
あの時は一番怖かったです。
魚を漁る網を担いで、訳の分からないことを喚きながらやってくるのが
遠くからでも分りました。
学校に入ってくると
同級生にも構わず喚いたりしました。
他にも、グローブを持って野球をしているという理由で
怒鳴り込んで来たこともありました。
授業中にクラスの同級生が「誰か来た」といって、
ザワつく度に「また親父かな」と思いました。
友達にも申し訳なかったですし、
恥ずかしかったし、悲しかったです。
もう、父とは一緒にいられないと思いました。
母も可愛そうでしたが、
中学生の自分には何も出来ないと思っていました。
よく、父と一緒にいられるなと思いました。
今から考えると、母も私も、
よくあの状況を乗り越えられたと思います。
そんな父でしたが、中学入学と同時にそろばん教室だけは通うのを
許してくれました。父が何かを許してくれたのは、それが最初で最後で、
とにかく嬉しかったです。
そんなある朝のこと「父が倒れた」といって、
私は朝の5時半に母に起こされました。
布団に横になっている父に向かって、
夢中で「親父、親父!」と呼んでみたものの返事がありません。
その日は11月13日で、死因は脳梗塞でした。
通夜、葬儀と担任の先生や同級生は誰も顔を見せませんでした。
あらためて、石崎の家が嫌われ者なんだということを思い知りました。
私の家は村八分の状態だったのです。
父が死んだことで
「この後どうなるんだろう、
何がどう変化するのだろう?」
と、思いました。
「学校に行けなくなるかもしれない、
自分が跡を継がなければいけないのだろうか?」
という予感が私の気持ちを重くしました。
葬儀の時には、
見たことのない女性が一人座っていました。
なぜか気になって「あれは誰?」と、
親戚に聞いて回ったのですが誰も教えてくれません。
それでも、諦めずに食い下がっていると
「あれは、お前の生みの親だ。お前は捨て子なんだ。
お前の本当の母親は育てるのを放棄したんだよ」
と教えてくれました。
死んだ父だと思っていた人は、
実は、私の祖父だったのです。
それを聞いて「なぜ、母は私を育てられなかったんだ?」と思いました。
そして、その瞬間、なぜ両親の年があんなに離れていたのか、
学校の参観日に来てもらえなかったのか、
地元の人達との折り合いが悪く嫌われ者なのかが、
一本の線でつながったのです。
私はいてもたってもいられず
「どうして、私を捨てたのか?」を、
本人の口から聞こうと思いましたが、
気づいた時にはその女性の姿は無くなっていました。
まさか、すぐにその女性がいなくなるとは
思いもよりませんでした。
<次回は~自殺を試みるも赤と緑のUFOに救われる>
「次回、自殺を試みるも赤と緑のUFOに救われる」
-大将のコメント-
チン毛の生え出す中学1年生とはいえ、
まだまだガキです。
突然の「お前は捨て子なんだ」という言葉と、
船に乗るために中学に行けなくなるというのでお先真っ暗でした。
我ながら、笑顔でよくこんな話ができるなと思います。
でも、今、自分の心に偽りのない希望があれば、
どんなに辛かった経験も、自分の自信になりますし、
人を励ます肥やしにもなるんだと思います。
せっかくの人生ですから、
夢を大切にしたいものですね。
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メルマガ読者さまからのコメント1みのりの大将様
メルマガいつもありがとうございます!!
大変興味深く読ませていただいています。
大将って凄い人生を歩んできているんですね!
毎回カンドー(T.T)しながら読ませていただいております
早くも次を期待してしまっております・・・(>。<)
***
ありがとうございます。
頑張ります!
大将
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メルマガ読者さまからのコメント2
石崎さま
メルマガありがとうございます。
一度すれ違うように○○先生の講演会で名刺交換しただけでしたのに
この用にまたメールで繋がることができてとてもうれしいです。
メルマガを拝見しながらさまざまなことを考えました。
うちの家族もいつも暴力ばかりでした。
そのせいにしても何も始まらないとわかっていつつも、
人の中に上手に溶け込めない自分に日々苛立ちを覚えておりました。
今現在精神科の看護師としてアルコール依存症の看護に携わっております。
石崎さまのメルマガを拝見しながら日々の業務と自分自身について改めて考えました。
親の飲酒問題と暴力の境遇で育った方たちが
世代連鎖してアルコール依存症になっていく姿を目の当たりにします。
時にスタッフへの暴力・暴言もありますが、それらは本人ですらどうすることもできな
い病気の症状であると最近ようやく理解することができるようになりました。
それでもやはり自分の子供時代と重ね、その患者さまの家族、子供をみていると苦しく
なります。
患者さまの看護に携わりながら、日々自分も己の行き方と向き合うことになります。
正直、時々しんどいです。
ですが石崎さまのメルマガを拝見しながら、
人はそれでも生きていけるのだという勇気をいただきました。
本当にありがとうございます。
もう少し、ここでがんばってみようかなと思えました。
そしてちょっぴり「アホ」になろうと思いました。
あたたかなユーモアをありがとうございます。
これからもますますお元気で、ますます多くの方においしいラーメンと
笑いを分けてくださいね。
いつかお店のほうに伺いたいと思います。
お会いできる日を楽しみにしております。
ありがとうございました。
***
メッセージありがとうございます。
ぜひ、ゆっくりお話したいですね。
お待ちしております。
大将
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メルマガ読者さまからのコメント3
こんばんは。
せつなくも深いお話 ありがとうございます。
人生、ドラマティックですね。波乱万丈ですが、
すべては 今につながっているのかも。
続き また よろしくお願いいたします!!
***
ありがとうございます。
今、希望が持てるのなら、
これまでの事は全部勉強です。
笑って語って一歩前進でしょうか。
大将
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メルマガ読者さまからのコメント4
メルマガの方大変楽しく拝見させて頂きました。
少年の育つ環境があまりに劣悪で、
展開が昼ドラなところが癖になってきました。
お忙しいとは存じますが、
小さなエンターテイメントありがとうございます。
***
ありがとうございます。
まだまだ、行きますよ。
大将
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メルマガ読者さまからのコメント5
今回もどんな展開のお話になって行くのか期待でいっぱいでした。
本当におしんにひけ劣らず、私の子供時代にも決してひけ
劣らずで感銘して居ります。
同じ時代を生きてきた同志として、
これからも心の中でエールを送り続けたいと思います。
近々お店に行きます、あのスープの味が舌にこび
りつき禁断症状が現れ始めました。
宜しくお願い致します。




