かわら版
<泣き通しだった少年時代~ミッチーガソリンの孤独>
私は新冠の小さな漁村で育ちました。年の離れた両親との三人暮らしでしたが、生活は貧しく、幼稚園はおろか毎日の食事にも事欠くような状態でした。そして、私には友達がいませんでした。
その村の幼稚園は漁村の飯場にありました。子供心に、何度か親の目を盗んで幼稚園に遊びに行ったことがあります。その度に、酒に酔った父が怒鳴り込んで来て、私を引きずり出していくのでした。
同年代の子供たちは「石崎の親父がきた」というと、おどおどとして怖がりました。誰も私に近づこうとしませんでした。石崎の息子ということで、顔を合わす誰もが自分を歓迎してくれないことは子供心にもよく分かりました。
それが、悲しい事なのか、怒るべき事なのかさえ分からず、ただただ一人で泣いていた事が多かったです。
小学校への入学式はおばあちゃんが来てくれました。両親は漁があるために来られないのです。それは分かるのですが、なぜか、同級生の中で両親が来ないのは私だけでした。
両親が参観日に来てくれたこともありませんでした。勉強が好きだったので、参観日には母に来てほしくて何回もお願いしたのを覚えています。忙しくて無理だと言われても子供なので自分を抑えられないのです。
私は自分の姓が「石崎」で出席番号が一番だったので、座席も右の一番手前です。漁があることが分かっていても、ガラガラっと教室の後ろの扉が開いて父兄が来るたびに、母が来たのでは?と、振り向いたのを覚えています。
そして、小学校に入ってもやはり友達が出来ませんでした。いつも仲間はずれで、いじめられていました。とにかくすぐに泣く、泣き虫で、なぜか「ミッチーガソリン」と呼ばれていました。
今思えば、「ミッチー」というのは「みちひろ」という名前から来ていて、「ガソリン」は「火がついたように泣いて手がつけられない」という意味だと思うのですが、当時は自分がいじめられていることも分かっていませんでした。
同級生が持っているおもちゃは何ひとつ持っていなかったので、一人で浜に行き、ドラム缶の玉乗りをしていました。よく転んでは骨折をして、その度に病院に運び込まれていました。
小学3年生の時に盲腸になって入院したのですが、誰一人としてお見舞いには現れませんでした。同級生がみんなで担任の先生の家に遊びに行ったこともあったのですが、私だけが後で知りました。
こんな事がある度に寂しいなと思いましたが、家がこんな状態だから仕方ないと諦めていました。
たまに近所の上級生がビー玉とかパッチ(メンコ)の遊びに加えてくれることもありましたが、なぜか、やるたびに勝ってしまうので「勝ち逃げ」だと言っていじめられました。もちつもたれつ、時には相手を勝たすという発想もなく、世渡りも下手でした。
冬場になると、家の前に水を張った洗面器を置いておいて、毎朝、凍った部分を積み重ねてかまくらを少しずつ作るという楽しみがあるのですが、ある朝、粉々に砕かれていました。ただ、寂しかったし、悲しかったです。
学芸会で劇をやるときにはいつも悪役でした。花咲かじいさんの時も、こぶとりじいさんでも私は悪役でしたが、役がつくのが嬉しくて嬉々としていました。何で俺だけが?ということも考えたことはありませんでした。
当時、私を理解してくれたり、慰めてくれたり、庇ってくれる人は一人もいませんでした。いじめられて、仕返しをするという事は一度も考えたことがありませんでした。
<つづく。次回、見知らぬ女性があらわれて出生の秘密を知らされる>
-大将のコメント-
我ながらキツイ少年時代でした。可愛くないガキだったかもしれません。
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メルマガ読者さまからのコメント1
大将
ありがとうございました。
人生の日記、読ませていただきました。
映像が出てきました。少年石崎君の逞しさや心の変化が
私にも入ってきました。うーん、せつない。
私も過去を思い出しました。
・毎日どなり散らす父
・口を開けると勉強しろしか言わない父
・そんな父に愛想をつかし、自殺をしようとした母
・喘息になることが、父と母が仲良くなっている瞬間
でも、今はこの全ての過去があって、今の自分がある意味が
分かります。分かってきました。
どれも、私が育っていく上で必要なことだったんです。
この世に生れてくる上で、私自身が決めてきたことだという
ことも何となくわかり始めています。
これからも楽しみに読ませていただきます。
ありがとうございました。
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ありがとうございます。
おっしゃるとおりだと、私も思います。
大将
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メルマガ読者さまからのコメント2
幼少期の大将のお話を聞いて、感動いたしました。
何か自分のことを思い出しながら、読んでいました。
私は、両親が一時不仲で、母なしの2年間があり、悲しい思いをし、
けんかばかりしていて、嫌われていたのを思い出しました。
(友人の親に○○君とは遊ぶな・・・言われておりました)
次回を楽しみにしております。
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私と似た感じですね。
これからも、よろしくお願い申し上げます。
大将
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メルマガ読者さまからのコメント3
誰からのメールかとびっくりしました。お久しぶりです。
夢と勇気と笑いをお届け頂きありがとうございます。
今年の初めに職場が代わり、泥沼状態の中にあり、最近少し滅入っている
ところですので、まるで私の心の中が見えているのかと思うほどのタイミングに
届き驚いてます。
少年期の話は他人の話を書いたのではないかと思えるような内容で、
とても今の石崎さんからは想像できません。
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ありがとうございます。
苦しさは、いつまでも続きません。
また、お話しましょう。
大将
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メルマガ読者さまからのコメント4
みのりの大将へ!
感動しました!凄いです。大将…小さい時の大将、とてもご苦労
されたんですね。
今の時代、いじめや悪い家庭環境の中で、耐え切れずに尊い命
を絶ってしまう子供もたくさんいます。
大将のご経験は、そういう子供、また元気のない大人たちを救う
お役割があると思いますよ。
今の大将の優しさが、昔の体験に基づいていらっしゃたことを
知り、ますます大将のことが大好きになりました。
本当に生きていて下さってありがとうございます。
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ありがとうございます。
少し、恥ずかしい感じが致します。
褒められ過ぎです。
出来ることから、頑張ります。
大将
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メルマガ読者さまからのコメント5
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今回のメルマガを出して、
少年時代とつながらない気がします。
というご感想を沢山頂きました。
自分でも、実は良く分かっていません。
きっと、出逢う方が良かったのだと思います。
大将
つづき、<見知らぬ女性があらわれて出生の秘密を知らされる>




